「パピルス―偉大なる発明、その製造から使用法まで」リチャード・パーキンソン、スティーヴン・クワーク 著

古代エジプト新王国時代ラムセス王朝(B.C.1185頃 – B.C.1070頃)のパピルスの巻物(大英博物館古代エジプト部門収蔵BM EA 9994)に、書くことの喜びを心の底から著したこのような記述があるという。

『一日書き物をして過ごすがよい。
そして夜は読書をして過ごすがよい。
巻物やパレットを友にせよ。
それらはザクロ酒よりもかぐわしい。
書き物はそれを知る者にとって
どのような役職よりも優れたものである。
それは食物やビールよりも香ばしい。
また衣類や香油よりやさしい。
それはエジプトの伝統より貴重であり
西方の礼拝堂よりも尊い。』(P77)

パピルス紙の登場は人類史における画期であった。古代エジプトの人々――完全識字率は0.3%~5%(P75)で、巻物一巻の価格は労働者の1日あるいは2日分の給料に相当(P29)、というから高級官僚や神官・貴族など、教養があり、かつ裕福な非常に限られた人々である――に書くことと読むことの喜びを与え、そのような人々は人類史の歩みと共に現代までに比べ物にならないほど爆発的に増大した。

パピルス草は古くからサンダル、籠、葦舟など日用品をつくるための貴重な原材料として使われていたが、これがパピルス紙に加工され始めたのは紀元前三千年頃のことだと言われている。パピルス草の茎の芯が薄く切り分けられて二層または三層に重ねあわされ、上から圧力を加えられることで一枚のパピルス紙が作られた。パピルス紙は数十枚繋ぎ合わされて巻物となり、イグサか葦のペンと黒と赤のインクでもって文字が記される。

古代エジプトで使われた文字で有名なのは「ヒエログリフ(聖刻文字)」と呼ばれる絵文字だが、これは「死者の書」などの重要な祭祀関連文書や記念碑などでしか使われない。多くは筆記体形式のヒエログリフとそれを崩した「ヒエラティック(神官文字)」という文字で、ヒエラティックは行政文書から文学まで広い範囲で使われ、時代によって文字の特徴も変化していった。興味深いのは、ヒエログリフは縦書きでも横書きでも記述できるが、初期のヒエラティックはほぼ縦書きだったが、中王国時代後期には横書きが一般的となり、新王国時代初期(紀元前1550年頃~)までに縦書きはほぼ見られなくなっていくのだという。縦書きから横書きへの変化を起こした要因は何だったのだろうか。さらに紀元前七世紀(後期王朝時代)になると、「デモティク(民衆文字)」という新筆記体が登場、以後ローマ時代まで「ヒエロティック」に代わり「デモティク」が行政文書、文学を問わず広く使われていった。

パピルス紙は量産されてはいたものの貴重だったので、代替品としてシカモア(イチジク)の木や石灰岩・粘土などで作られたタブレット、「オストラカ」と呼ばれる土器・石灰岩・陶陶器などの欠片、革、亜麻布などに文字が書かれることが多かった。特にオストラカや革に書かれたものが多く残されている。

パピルス紙は紀元前六世紀頃からギリシアでの使用も見られやがて地中海世界に広がっていく。ギリシア語のパピルスで現存する最古のものはアテネで出土した紀元前五世紀頃とされる焼け焦げた断片だ。地中海世界でパピルス紙使用拡大の契機となったのはアケメネス朝ペルシア帝国によるエジプト征服(紀元前525年)とアレクサンドロス大王のエジプト征服(紀元前332年)だ。アケメネス朝ではアラム語が公用語に、アレクサンドロスの帝国ではギリシア語が公用語とされパピルス紙もアジアから地中海世界にかけて急速に広がった。ギリシアでもホメロスの「イーリアス」などを始め文学作品が次々とパピルス紙に残される。プトレマイオス朝で有名なアレクサンドリア図書館は50万冊の蔵書を誇ったという。

パピルスに変わって次第に使用が広がったのが「羊皮紙」である。羊皮紙は『非常に柔軟で耐久性があり、北部の湿度の高い気候には向いていた』(P112)という特徴もあるが、最大の要因は『パピルスのように限られた地域に生育するものではなく、どこでも容易に製作できるという利点』(P114)を持っていたことだった。また、巻物に変わって紀元前一世紀頃から記録が見られるのが『パピルスや羊皮紙のシートを中央で折り、パンフレット状に閉じた』(P114)形式、つまり現在の書籍と同様の構造の「コデックス」である。四世紀までに巻物にかわって「コデックス」が一般化し、それとともにパピルス紙はほぼ姿を消した(ビザンティウムで12世紀頃まで使われたともいう)。しかしパピルス紙に取って代わった羊皮紙も、最終的には紙に取って代わられる。西暦751年、アッバース朝軍と唐軍が対戦したタラス河畔の戦いで唐軍の捕虜から製紙法が伝わったといわれている。

このあたりの歴史については同書の記述に色々補足しつつまとめてある。基本的には歴史の流れよりも現在わかっているパピルス紙の製造法や使用法の具体的な記載が中心で、当時どのようにして作られ、どのような使われ方をしていたのかが詳述されており様々な発見があって非常に面白かった。まぁさすがの大英博物館研究員による本格的な概説書というところか。監修者もまえがきで『学界で貴重な一書』(P7)と太鼓判を押している。

ところで、パピルス草は現在ではアフリカ中部から南部にかけて広く分布しているものの、エジプトでは絶滅しており、古代から現在まで絶えることなく自生し続けているのはスーダン南部とシチリアだけなのだという。どうやら本書を読んでいると新しいパピルス草が発見されたらスーダン南部やシチリアのパピルス草と同定作業をしているようで、最近ニュースで南スーダンの非常に緊迫した情勢が日々伝えられているが、人道的危機はもちろん言うまでもなく、このような研究面、歴史的価値からもその政情は非常に危惧される。

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