大日本帝国憲法審議での伊藤博文と森有礼の「臣民の権利義務」論争

大日本帝国憲法を巡る議論は新設の枢密院で明治二十一年四月から翌二十二年一月まで集中審議された。枢密院会議議事録第一巻(P217-219)から、伊藤博文と森有礼の論戦を引用してみる。憲法史で有名な伊藤-森論争である。

憲法草案第二章「臣民権利義務」に森が異を唱える。権利義務ではなく「臣民の分際」と改めるべきではないか?と。分際とは「レスポンシビリテー」即ち責任であるという。対する伊藤博文の反論。

『十四番(森)ノ説ハ、憲法学及国法学ニ退去ヲ命シタルノ説ト云フヘシ。抑憲法を創設スルノ精神ハ、第一君権ヲ制限シ、第二臣民ノ権利ヲ保護スルニアリ。故ニ若シ憲法ニ於テ臣民の権利ヲ列記セス、只責任ノミヲ記載セハ、憲法ヲ設クルノ必要ナシ。又如何ナル国ト雖モ臣民ノ権利ヲ保護セス又君主権ヲ制限セサルトキニハ、臣民ニハ無限ノ責任アリ、君主ニハ無限ノ権力アリ、是レ之ヲ称シテ君主専制国ト云フ。故ニ君主権ヲ制限シ、又臣民ハ如何ナル義務ヲ有シ如何ナル権利ヲ有スト憲法ニ列記シテ、始メテ憲法ノ骨子備ハルモノナリ。(以下略)』

憲法議論の際には「ザ・フェデラリスト」を常に座右に置いていたという伊藤博文らしい反論である。しかし、何故森は「権利義務」の語を削り「分際」と改める様主張したのか?伊藤の発言に対する森の反論。

『臣民ノ財産及言論ノ自由等ハ、人民ノ天然所持スル所ノモノニシテ、法律ノ範囲内ニ於テ之ヲ保護シ、又之ヲ制限スル所ノモノタリ。故ニ憲法ニ於テ此等ノ権利始テ生レタルモノヽ如ク唱フルコトハ不可ナルカ如シ。依テ権利義務ノ文字ノ代リニ分際ノ字ヲ用サント欲ス。又臣民カ天然受クヘキ所ノ権利ヲ無法ニ取扱ヒ、徒ラニ王権ヲ主唱シテ民権ヲ保護セサルモノヲ称シテ専制ト云フ。且ツ内閣ハ臣民ノ権利ヲ保護スル為メ働クヘキモノナレハ、仮令(たと)ヒ爰(ここ)ニ権利義務ノ字ヲ除クトモ、臣民ハ依然財産ノ権利及言論ノ自由ハ所持スルモノナリ。(以下略)』

国権の実際的な制限を目指す伊藤と、天賦人権論の原則に立ち憲法のあるべき姿を唱える森の熾烈な論争で、両者共に理があり、痺れる。

現代からの視点でいえば、森の『臣民カ天然受クヘキ所ノ権利ヲ無法ニ取扱ヒ、徒ラニ王権ヲ主唱シテ民権ヲ保護セサルモノ』であるところの専制を防ぎ、内閣を『臣民ノ権利ヲ保護スル為メ働』かせるために、伊藤の『抑憲法ヲ創設スルノ精神ハ、第一君権ヲ制限シ、第二臣民ノ権利ヲ保護スルニアリ。故ニ若シ憲法ニ於テ臣民の権利ヲ列記セス、只責任ノミヲ記載セハ、憲法ヲ設クルノ必要ナシ。』との現実論が生きてくるわけだが、大日本帝国憲法の議論においては、最終的に森の『権利義務ノ字ヲ除ク』という意見は排されることとなった。

このような過去の論争と反省を踏まえて、戦後の日本国憲法ではそのバランスが非常に良い形で取られることとなった。最近の、(実際するのかさっぱりわからないが)憲法改正論議について、議論の中心に立つことになる政治家はこのような過去の論争も丁寧に参照する必要があるだろう。どうなるのかわからないが、もし憲法改正論議が本格的に行われるなら、伊藤博文や森有礼を軽く凌駕した、痺れるような議論を期待したい。

参考書籍・サイト
・「枢密院会議議事録(第1巻)」
・西川 長夫 編「幕末・明治期の国民国家形成と文化変容
憲法条文・重要文書 | 日本国憲法の誕生

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