生涯アルコールを忌避したアドルフ・ヒトラー、および生誕について

ヒトラー生誕パーティー呼びかけ/田母神氏の支援者
 「偉大なる総統閣下が生誕された日に、皆でワインを飲みながら語らいましょう」

ふと、このニュースを斜め読みしつつアドルフ・ヒトラーはアルコール嫌いだったなと思い出した。後年、ヒトラーはドラマチックさを意識しつつおそらく創作交じりに、こう述懐しているという。

ヴォルフガング・シュトラール著「アドルフ・ヒトラーの一族―独裁者の隠された血筋」P28
「私は一〇歳から一二歳の少年時代に、いつも夜遅く、あの鼻持ちならない、煙ったい飲み屋に行かされた。いつもさっさと入っていって、父が座っているテーブルに近づいた。父は私の顔をぼんやりと見すえていた。私は父の体を揺さぶって、こう言うのだった。『父さん、もううちに帰ろうよ!行こうよ、いっしょに行こうよ!』私が一五分か三〇分、しきりに頼んだり、ののしったりしてようやく父が腰を上げてくれることもよくあった。こうして私は父の体を支えながら、家に向かうのだった。あれは身の毛もよだつ恥辱、私が今までに感じたなかで最悪の恥辱だった」
アドルフ・ヒトラーがアルコール拒否を生涯貫くことになったのは、おそらくこの時期の経験に遠因がある。

父アロイス・ヒトラーの人柄については研究者の間でも諸説ある。権威主義者で暴力的でアルコール中毒で、というのはおそらく事実ではない。一九世紀後半当時の台頭しつつあった中産階級にふさわしいリベラルな思想の持ち主であったという説もあるぐらいだが、何しろナチス政権下でヒトラーは家族に関する資料の多くを処分しており、またヒトラーの述懐には多分に創作的な内容が織り交ぜられていて、その語られる内容が確実に信用できるとは言い難い。一方で、ヒトラーの主観的にはこのように見えていたのだろうし、ヒトラーが語るような内容が実際に遠因としてあったのかどうかは定かではないが、ともかく生涯アルコールを忌避していたので、ヒトラーの生誕を祝いたい、などとという物好きは、最低限アルコールは飲まない方が祝うという趣旨にかなうのではないだろうか。

アドルフ・ヒトラーの生誕について祝うことの是非については、いわゆるナチズムの象徴としての「アドルフ・ヒトラー」として考えてみれば悪趣味であり国際社会の根幹がナチズム・ファシズムの反省の上に立っている現状への無理解があるのではないかというしかないが、そこから離れて個人としてのアドルフ・ヒトラーに焦点を当てて考えても、やはり慎重になると思う。

アドルフが生まれるまでに、母クララは二人の男児と一人の女児を次々と幼くして失っていた。『子供たちが早死にした直後だけに、クララはもう子供はほしくなかったと推測される』(P52)。再び失うことの怖れは確かにあったのではないか。もちろん多産多死の時代に生きる母の気持ちを現代から理解することの限界はあるが、その後の母クララの生涯を考えても、溺愛し、非常に可愛がったアドルフが奔放に振る舞うようになり、その成長を見ることなくこの世を去っているわけで、きちんとアドルフ・ヒトラーという人物や、その一族と向き合うのなら、軽々しく後世から「祝う」ことには慎重に考えざるを得ないと思う。

ところで、誕生を祝うとしていつを祝うのだろうか。ヒトラーが生まれたのは1889年4月20日午後6時30分だが、洗礼を受け、アドルフと名付けられたのはその2日後、4月22日午後3時15分だ。当時の洗礼の意味、ナチズムとカトリックとの関係も踏まえて、生誕を祝うというなら、いつにするのかはよく考えてほしいですね。って、ヒトラーの生誕を祝う、みたいな考えそのものがやはりよく理解できないのだが。

一応当ブログのナチズム関連記事を参考までに列挙。
シェーネラーとルエーガー~ヒトラーが範とした二人の反ユダヤ主義者
「労働を通じての絶滅」~第二次大戦中ドイツ産業での囚人労働力の酷使
「ヒトラーを支持したドイツ国民」ロバート・ジェラテリー 著
強制収容所設立をドイツ国民が支持した理由についてのメモ

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