なぜお相撲さんといえば「どすこい」なのか?

お相撲さんといえば「どすこい」、「どすこい」といえばお相撲さんというぐらい、イメージが定着した言葉だが、実際には力士は「どすこい」などとは普通言わない。では「どすこい」とは何か?意味は?語源は?というと多くの人は説明に困るのではないか。広辞苑第六版には「相撲甚句の囃子詞」とだけ簡潔に説明されている。ここを少し掘り下げてみたので簡単にまとめておく。花筏健著「相撲甚句物語」、山田知子著「相撲の民俗史」を中心にいくつか関連書籍を参考にしている(詳しくは記事最後に列挙)。

相撲甚句全集
相撲甚句全集
posted with amazlet at 15.07.25
呼出し三郎 沢風 大納川 国錦 呼出し永男 森ノ里
日本コロムビア (1999-12-18)
売り上げランキング: 33,227
スポンサーリンク
スポンサーリンク

相撲甚句とは何か

相撲甚句は地方の神前相撲やお祭りの相撲大会から大相撲まで、その開催時に唄われる甚句(七七七五調の俗謡の一種)で「一つ拍子」と「三つ拍子」があり、地方の神社などで行われる祭礼では唄にあわせて踊り(相撲踊り)が行われるのが普通である。

相撲甚句の動画

「甚句」とは何か

その発生には諸説あるが、有力なのは十八世紀初頭、安永から享保にかけての時期(1704~36)に関西地方で流行した「兵庫口説」のなかの長崎の呉服商ゑびや甚九郎の物語をうたった「ゑびや甚九」という叙事歌謡が「甚九郎節」として瀬戸内海沿岸から日本海沿岸に広まり、やがて北前船の船乗りを通じて東北から日本全国に広まるなかで、盆踊り唄の一種としての「甚句」へと発展したという。(山田P106-107)「口説(くどき)」は同じことを”くどい”ほど繰り返す意味で、短い節回しに歌曲の一節を何度も繰り返して唄われる。要するに十八世紀の流行歌である。

甚句という語の由来には諸説あって、越後石地浦の甚九が天文年間(1532~55)に歌い始めたから甚句という説が通説となっていたが、この甚九の実在は確認出来ず、また甚句の流行と二百年の開きがあることから現在では否定され、神前で奉納する唄を意味する神供説、郷土唄を意味する地ん句説と、順番に唄うことを意味する順句・順コからの転化説などがあり、花筏書は順コ説を有力と見ているようだ。(花筏P113-114)山田書とあわせて考えても順句・順コからの転化説が有力そうである。

相撲甚句の誕生

山田書では「甚句が相撲と結びついたのはいつごろのことかは不明」(P108)としているが、花筏書では丁寧に史料を追うことで、相撲甚句の史料上もっとも古いのは天保十五年(1844)の宇和島のものであるとし、寛政年間(1789~1801)ごろから文化文政期(1804~1829)にかけての村祭りの活性化と全国的な相撲ブームを背景に、各地の盆踊りで相撲を題材とした唄が登場、盆踊りや村祭りなどでの奉納相撲などで力士が甚句を歌い始めたのが始まりだと推測している。ショーの前に一曲、という感じだ。

『これらはまだ盆踊りの延長線上にあり、相撲甚句として独立したものではなく、また限られた土地だけの催しであったが、次第に広がり宮相撲には不可欠の出し物へと発展していく。やがて相撲のときには必ず唄われる歌詞が定着し、それが「相撲甚句」と呼ばれるに至ったと考える。』(花筏P121)

これを補強する社会背景として、文化化政期の村祭り・村の休日の増加について、以前書いた記事「江戸時代農村の遊び日・休日」から要点だけあらためてまとめておこう。天明期(1781~89)から化政期(1804~29)にかけて惣村では階層分化が進み富裕農民と下層農民との格差が顕著なものとなってくると、下層農民や若者組などを主体とする村人たちの待遇改善要求「村方騒動」が頻発、その要求に答えるかたちで、全国的に農民の遊び日・休日は増加の一途を辿った。その休日の理由づけとして村の祭礼が急増、相撲や歌舞伎など当時の流行が伝統的な祭礼に次々と取り入れられ、村祭りが活発なものとなる。現在、全国的に地方の民俗芸能として見られる祭礼はほぼこの時期に登場したものだ。このような社会背景を踏まえれば、「相撲甚句」の成立を文化化政期とする説には説得力があると思う。

地方の相撲甚句の衰退

各地方で唄われていた相撲甚句がプロの力士によって本場所で唄われるようになったのは明治二十年代のことで、当時東京、京都、大坂に三つの相撲協会が存在していたが、その中の大阪相撲で、ブームの甚句を力士たちが興行で唄ったのが始まりだとされる。遅れて明治三十年代に東京相撲でも相撲甚句が唄われ、大坂・東京ともに相撲甚句と共に踊りがつけられるようになったという。しかし、日露戦争後の硬派な気風から軟弱な踊りに対する批判が強く、『軟弱に見える踊りを力強い”型”に改める必要があった』(花筏P156)。

やがて、地方の相撲甚句は第二次大戦中から戦後の高度経済成長期にかけて地方村落共同体と消滅による祭礼の衰退とともに次々と消えていき、『「相撲甚句とは力士が巡業で唄うもの」の意識が強ま』(花筏P195)っていく。その地方の相撲甚句の復興は昭和五十年代ごろからのことだ。この時期に引退した力士たちと地方の有志などが各地で相撲甚句の復興に尽力し始めたのだという。戦前戦中の地方の祭礼の衰退については以前書いた記事「盆踊りの変容と衰退に多大な影響を与えたメディア」をあわせて参照いただけると。

戦中戦後の衰退期に地方の相撲甚句を守ったのは女性たちが多かったという。東北・九州を中心に相撲甚句の担い手は婦人たちで、元々村の祭礼で女性も参加しての村祭りでの相撲であり相撲甚句に乗せて村人挙げての相撲踊りであったし、明治期の女相撲の流行から主に九州では女性たちも祭礼で相撲を取り、また戦中は男性の減少の中で残された女性たちが相撲甚句を唄い継いでいた。

伝統文化を守るという理由で土俵の女人禁制を墨守する大相撲と、女性たちが率先して参加することによって消滅しつつあった民俗文化を守った地方相撲という対比が相撲甚句の歴史から浮かび上がるのがとても興味深い。

「どすこい」の意味、語源と浸透

花筏によると、相撲甚句の囃子声はドスコイ系とヤットコ系に分類できるという。(P61)ドスコイ、ドッコイ、ドッコイショ、ヤットコ、ヤストコ、などなど地方ごとに様々な合いの手が入れられるが、その中でドスコイが主流となったのは、ドスコイが大阪相撲の発案で、東京相撲の相撲甚句より大阪相撲の相撲甚句が昭和初期に主流となっていく過程があったらしい。

合いの手のドッコイは『一般的には力を出す直前の掛け声として使用』(P145)されるのに対して、ドスコイは『大きい、太いなどの意味で福井、愛知、三重、和歌山、大阪など、西日本の方言として使われている』(P145)。関西中心に相撲甚句の合いの手として使われた大きい・太いの意味をもつドスコイが大阪相撲の相撲甚句の主流となり、東京相撲は大阪への対抗意識もあって大阪に比べて相撲甚句の導入に消極的であったこともあり衰退、東西相撲協会の統合を経て力士が歌う相撲甚句の合いの手はドスコイが中心になり、各地方へ広まったという流れのようだ。「ドス声」転化説もあるがドッコイの改作で造語ではないかとされている。

力士の唄う相撲甚句の合いの手が「ドスコイ」にまとまっていったことと、力士・相撲のイメージとしての「どすこい」の定着との間にはどのようなプロセスがあるのだろうか。あくまで推測だが、戦後、地方の相撲甚句が衰退していく時期と入れ替わるように、力士による「ドスコイ」を合いの手とした相撲甚句が主流になっていく過程で、テレビのお笑い番組(例えばドリフターズとか?)や漫画などで、力士と「どすこい」を結び付けて描写され、それが一般化したのだろう。地方の相撲甚句を初めとする地方文化・村落共同体の衰退とテレビ・マンガを初めとするメディアの台頭とは時期を同じくしている。

「どすこい」という響きが持つ重さと力強さの感覚は確かに力士など体格のいい人を彷彿とさせるので、力士を描写したりコントにしたりするときに最初にこの言葉をチョイスした人はすごくセンスがあると思う。元々力士が日常的に使う言葉でもなければ、相撲用語ですらなく、力士が地方巡業で唄う甚句の一節でしかなかったのだから。ただ、甚句自体は戦後の一時期まではある程度全国的に定着した文化・流行歌でもあり、馴染みが合って受け入れられやすいという面もあったのだろう。

現代ではほぼ「どすこい」と聞いても相撲ファン以外は相撲甚句を思い出すことは無く、力士・相撲を著す擬音以上の認識はないだろうと思う。そういう意味で元々意味を持っていたが意味が失われてオノマトペ化した言葉といえそうだ。

面白い相撲甚句いくつか紹介

滋賀県長浜市鳥羽上町の相撲甚句

アーヨーエ 昔大石八左衛門は 桔梗の御紋を破るにアードッコイドッコイ
アー女で板額門破る 常盤御前は 我が子のために貞女破る
悪七兵衛景清は(中略) 日清戦争のこの時にゃ 原田重吉 平城門を押し破る
下って明治三十七、八年の戦争にゃ 陸軍海軍 旅順港を押し破る
昨夜も私が寝ていたら 隣の座敷に何やらゴソゴソ けったいな音がする
障子を破ってのぞいて見たことならば 私しゃふんどしヨーホイ 突き破るヨー
アードッコイドッコイ
アーそのまた女はかわらけで 闇の夜でもピカピカと

大石八左衛門はよくわからないが桔梗の御紋を破るというから、明智光秀と戦った人物だろうか?平景清、常盤御前から日清日露までダイナミックに歴史を下りつつ、最後は下ネタで占める豪快さ。

京都府竹野郡網野町島津(現京丹後市)

相撲取るなら名乗りを上げてヨー トコドッコイドッコイ
一にゃ響灘 二にゃ尾上松 三にゃかなだめ トコヤンサ
誰も好く トコドッコイ 弓をやかたげて アー戻りゃんせ
トコドッコイドッコイ
武士で忠義は大石親子 トコドッコイドッコイ 武部源蔵こりゃ忠義
楠正成こりゃ忠義 先代萩では政岡が そのまた息子の千松が
お腹が空いてひもじゅうない ひもじゅうないのが忠義なら
世界の病人皆忠義 ひもじいばかりが忠義なら
困窮同志の貧民衆はノーホホイ 皆忠義 トコドッコイドッコイ

忠臣蔵の大石内蔵助・主税、人形浄瑠璃・歌舞伎「菅原伝授手習鑑」の登場人物武部源蔵、楠木正成など、おそらく明治時代後半~昭和初期だろうか、忠義と評判だった人物たちを挙げていきつつ、忠義を盾にして困窮を我慢させようとする風潮を皮肉る。民衆のリアルが感じられてぐっとくる。

熊本県人吉市の女相撲甚句

ハアー トコドスコイ ドスコイ ワシが相撲とりゃー おやじさんが嫌う
おやじ嫌うなわけがある 関取さんという人は ずしょうのようなお米食うて
(雪より白いままを食べ)いたちの毛のようなタバコ吸うて 油のような酒を飲み
芸者舞子は左右 行き先ゃ我が家で 女郎が妻
どうしてお相撲さんばやめらりょかナー

九州を中心に女相撲が広がっていたが、女性が相撲を取ることを嫌う男性を痛烈に皮肉った相撲甚句。花筏書では元は男の唄であったとしている。

参考書籍

相撲甚句物語―ルーツを求めて
花筏 健
現代書館
売り上げランキング: 1,166,739

これ、調べていく過程で図書館で見つけた本ですが、丁寧に相撲甚句の成立を追った民俗学・地方文化史・芸能史の名著です。非常に面白い。amazon在庫切れなのが残念ですが。

相撲の民俗史 (東書選書)
山田 知子
東京書籍
売り上げランキング: 1,140,671
増補 村の遊び日―自治の源流を探る (人間選書)
古川 貞雄
農山漁村文化協会
売り上げランキング: 876,500
八月十五日の神話 終戦記念日のメディア学 ちくま新書 (544)
佐藤 卓己
筑摩書房
売り上げランキング: 245,525

あわせて、関連記事
子どもの間で「どちらにしようかな」に歌われる「ごんべえさん」の謎
子どもはなぜ「替え唄」を歌うのか?
水戸黄門諸国漫遊物語はどのように生まれたのか?

スポンサーリンク
スポンサーリンク

フォローする

関連コンテンツ

スポンサーリンク
スポンサーリンク