「アンネの日記」真贋論争~偽書説が科学的検証を経て否定されるまで

「アンネの日記」が何者かの手によって都内図書館で多数破られているというニュースが次々と報じられている。サイモン・ヴィーゼンタール・センターによる批判を皮切りに海外メディアでも報じられて、国際問題の様相すら呈しつつある。

この事件については当局の適正な捜査を見守るだけだが、これを切っ掛けにふと「アンネの日記」を色々と検索してみると、未だにアンネの日記偽書説がインターネットに広がっているようだ。え?今更?としか思えないのだが、結論から言うと「アンネの日記」は1981年にオランダ国立戦時資料研究所とオランダ国立法科学研究所による科学的調査の上でアンネ・フランクが書いたものと確定している。この件、日本ではwikipediaに軽く触れられている程度で、インターネット上にはテキストが見当たらないので、これを詳説したオランダ国立戦時資料研究所編「アンネの日記 研究版」(絶版)をもとに改めてまとめておこう。

オランダ国立戦時資料研究所編「アンネの日記 研究版」P73図より改変・再構成
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「アンネの日記」の三つの原稿

アンネ・フランクの直筆原稿は三種類ある。

aテキスト「日記帳Ⅰ、日記帳Ⅱ、日記帳Ⅲ」

1942年6月12日、アンネ・フランク13歳の誕生日にプレゼントとしてもらったアルバムをアンネは日記として使い始めた。この1942年6月12日から1942年12月5日まで書かれたアルバムが史料上「日記帳Ⅰ」と呼ばれる。1943年12月22日から1944年4月17日まで別の雑記帳に書かれたのが「日記帳Ⅱ」、1944年4月18日から1944年8月1日まで別の雑記帳に書かれたのが「日記帳Ⅲ」である。「日記帳Ⅰ」「日記帳Ⅱ」の間に一年間の空白があるが、おそらくこの間も絶えず書き続けていただろうが現存していない。

bテキスト「ばらの用紙」

1944年3月28日、オランダ亡命政府のボルケステイン教育芸術科学相がラジオを通じてこう呼びかけた。

『歴史というものは、公的な決定や記録だけをもとにして書けるものではありません。われわれオランダ国民が、この戦時下においてどんな苦しみに堪え、どんな困難を克服してきたか、それを十全に子孫に伝えようとするならば、真に必要なのは、ごく普通の記録――たとえば市民の日記、ドイツで労働に従事している人たちから送られてきた手紙、牧師や神父などの説教集、などであります。こうした膨大な量にのぼる単純かつ日常的な資料の集大成なくしては、われわれの自由への闘いが、完全な深みと栄光とをもって描きだされることはないでありましょう。』(P65)

この演説に影響されたアンネは個人的に書き溜めた日記を公開しえる内容に清書しはじめる。1944年5月11日、その公開する本の名前は「隠れ家」とすると日記に書いた。この「隠れ家」として公開を予定して、1944年5月20日から8月までばらの複写紙や紙片に書かれた原稿が史料上「ばらの用紙」と呼ばれる。

物語

1943年から1944年はじめにかけて日記とは別に会計簿に書かれた「<隠れ家>からの物語集」と名付けられた創作があり、これが史料上「物語」と呼ばれる。

終戦から出版までの流れ

家族を全て失いただ一人生き残った父オットー・フランクは1945年6月3日、アムステルダムに帰還。7月末~8月に娘の死が確認されると、タイプライターで「日記帳Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ」から彼が枢要と思う部分と「ばらの用紙」からいくつかの記述を除いたもの、および「物語」から四つの挿話からなり、彼が適切と思う記述に改めつつアンネ直筆原稿を縮約した文書を作成する。これを史料上「タイプ原稿Ⅰ」と呼ぶ。

これを元秘書のイーサ・カウフェルンの夫で劇作家のアルベルト・カウフェルンに、『”文法的な誤りをチェックし、ドイツ語ふう表現を除去するように――つまり、わたしの娘がドイツ語から借用した、したがってオランダ語としてはよくない慣用表現をとりのぞくように”依頼』(P70)し、手直し原稿が作成される。

このオットーが縮約しアルベルト・カウフェルンが手直しした原稿を、あらためてイーサ・カウフェルンが清書した文書が史料上「タイプ原稿Ⅱ」と呼ばれるものだ。元々オットーは身近な人に娘の原稿を読んでもらいたいだけだったので、不適切と思われる部分を削除・訂正したこの「タイプ原稿Ⅱ」のコピーを友人などに配っていたという。

オットーの友人でこの配布された「タイプ原稿Ⅱ」を呼んだヴェルナー・カーン博士は大きな感銘を受け、オットーに出版を薦めるとともに、歴史家ヤン・ロメイン博士夫妻にも「タイプ原稿Ⅱ」を紹介、やはり原稿を一読して感銘を受けたロメイン博士は「一少女の声」と題する論説を発表して大きな反響を呼び、多くの出版社がロメイン博士に問い合わせ、その中の「コンタクト社」で出版されることになる。ただし、「コンタクト社」側で出版に際して「性的な話題」など二十六カ所の削除提案がなされ、うち十八カ所が削除された上で、1947年、「隠れ家――一九四二年六月十二日から一九四四年八月一日までの書簡体による日記」(「隠れ家」cテキスト)が初版1500部で出版される。日常的な描写を極力削って、ドラマチックな部分を中心に編集された内容であったこともあり、出版されるや「隠れ家」は大評判となって、各国で翻訳・出版されることになった。

フランス語版は「隠れ家」がそのまま翻訳されることになったが、ドイツ語版を翻訳したジャーナリストのアンネリーゼ・シュッツは古くからオットーの知り合いでもあったから、翻訳版として「タイプ原稿Ⅱ」を使用、ただし翻訳された文章はあまり良い翻訳とは言えないものだったらしい。英語版はオットーの意向もあって、「隠れ家」で削除された部分を再度取り入れることとなり、ロンドンのヴァレンタイン・ミッチェル&カンパニー社から、B・M・モイヤールト=ダブルデイ夫人の翻訳で出されることになった。1952年に出された日本語版もこのダブルデイ訳英語版を元にしている。

反ユダヤ主義と結びついて広がるアンネの日記偽書説

戯曲化を巡るトラブル

世界的に大ベストセラーとなった「アンネの日記」の米国版著作権代理人となったのが作家・ジャーナリストのマイヤー・レヴィンで、彼が「アンネの日記」を迷走させることになる。レヴィンは自身の手で「アンネの日記」の戯曲化を行おうと自ら脚本を作成するが、残念な出来だったらしく、ことごとく上演を断られる。結局契約上上演権は別の人物(ハケット夫妻)に移り、1955年、大成功となるが、上演権を取り上げられたレヴィンはおさまりがつかない。色々とすったもんだの末、1958年、レヴィンはオットーに対する契約違反、ハケット夫妻に対する盗用などを理由として訴訟を提起して争うが、やはりレヴィンに理は無く、結局棄却されてしまう。

後年(1973年)、彼は自著で不満をぶちまけている。同書のダーヴィッド・バールナウ論文に以下のようにレヴィンの主張が要約されている。文中のリリアン・ヘルマンはレヴィンの脚本を確認してプロデューサーに上演を断るよう助言した劇作家。

『自分が東欧から合衆国へやってきたユダヤ人であるのにたいし、リリアン・ヘルマンやオットー・フランク、そして彼らの弁護士たちを含む合衆国のユダヤ人既成社会は、いずれもドイツ系であるため、そろって自分を差別している。のみならず、シオニストで社会主義者であるユダヤ人として、自分は合衆国内のスターリン主義者、反ユダヤ主義者の陰謀の犠牲になったのだ。いってみれば、マッカーシズム的迫害の裏返し、そういう迫害の一形態に自分はさらされてきたのである』(P89)

レヴィンがこのような被害妄想的な主張をいつからしだしたのかわからないが、オットー側とレヴィンとのいざこざに便乗したのが、反ユダヤ主義者や当時復活しつつあったナチのシンパたちだった。

アンネの日記偽書説の登場

1957年11月、文芸評論家ハラルト・ニールセンがスウェーデンの新聞「自由な言説」に発表した論説で、彼はアンネの日記が現在のようなかたちをとったのはマイヤー・レヴィンの関与が大きいとする根拠のない説を発表。続いて58年3月、元SS(ナチス親衛隊)北欧部機関紙のノルウェーの新聞「民族と国土」がレヴィンの訴訟に絡めてアンネの日記贋作説を提唱、これがウィーンの極右団体「ドイツ国家党」の機関誌「国家主義ドイツ週刊新聞」に翻訳されて転載される。

続いて11月、元ヒトラー・ユーゲントの指導的立場にあり「ドイツ国家党」リューベック地区議長を務める英語教師ロタール・シュティーラウが劇「トム・ソーヤの大冒険」の批評の中でアンネ・フランクの日記を偽作と断言。これに対しオットー側弁護人が訴訟を提起し、日記の真偽の判断が裁判の中心となり、これらは専門家の鑑定によって全て本物と判断され、1961年、シュティーラウ側敗訴で結審する。だが、その後もアンネの日記偽書説は広く浸透してナチ系団体に限らず様々な方向から次々と飛び出して、いくつもの裁判が開かれ、中には偽書説を唱えた側が無罪となる例もあった。

1976年、ハンブルグでアンネの日記を偽作としたパンフレットを配布したエルンスト・レーマーという人物が名誉棄損で逮捕され、77年から裁判が開かれるが、この開廷中にジャーナリストのエドガー・ガイスという人物がやはりアンネの日記を捏造だとしたパンフレットを配布、ガイスの裁判も同時進行で進められる。

ここで、連邦犯罪捜査局(BKA)に対し、専門家の鑑定意見が求められ、1980年、BKAは『三冊の日記帳および<ばらの用紙>に見られる質のインクは、いずれも一九五〇年~五一年以前に製造されたもの』(P105)すなわち、アンネの日記が贋作であるというわずか4ページほどの短い鑑定結果のレポートを作成した。しかしながら『その調査結果の基礎となった具体的なデータ』(P106)は一切公表されず、その調査結果は検証不可能であった。

アンネ・フランク資料の科学的検証

1980年、オットー・フランクが亡くなり、オランダ国立戦時資料研究所にアンネ・フランクに関する全ての資料が寄贈され、1981年、オランダ国立法科学研究所とともに筆跡鑑定と文書調査を中心にして科学的な検証が開始される。本書には詳細な資料が掲載されているので調査結果の要約部分だけ紹介しておく。

文書調査

『いかなるテストによっても、複数の日記帳、<ばらの用紙>、比較のために提供された試料、ならびにそれらのなかに見いだされるインクの沈着物からは、製造時期とされる年代よりも、のちの時代のものであることを示す証拠はいっさい認められなかった』(P111)

筆跡鑑定

『比較のために使われた筆跡見本と、修正箇所の筆跡とが、別人の手になるものと証明されたのは、ごく少数の例においてだけである。これら別人のものと認められた修正は、語数にして一語から三語、またその数は、総計二十六カ所である。
それらは、<ばらの用紙>の第一〇四頁から三一一頁にかけて散在していた。そのうち七例は誤った構文の訂正であり、残りの例については、それらが絶対的に必要だったとは考えにくい。
比較の結果は、これらの修正が、全体としてとらえた場合、オットー・フランクによるものであることを、確信に近い確率で示していた。』(P169)

公開されたアンネ・フランク原稿

あわせてアンネ・フランクの原稿を始め一切の資料が公開され、本書でも直筆原稿写真のほか、およそ700ページにわたってaテキスト(日記帳I、Ⅱ、Ⅲ)、bテキスト(ばらの用紙)、cテキスト(隠れ家)の全文が邦訳、比較掲載されている。1991年、アンネ・フランク財団はこれらの資料とオットーの別資料を元に新版を作製、1998年、発見された五ページ分の日記を含め日記の日付等新たに判明した異同が訂正されて出版されたのが現在(2004年邦訳)の増補新訂版である。(「アンネの日記 増補新訂版」P3~4)

以上のような過程で、現在、アンネの日記偽書説は科学的な検証の上で完全に否定されている。重要なことなのでもう一回繰り返すが、「現在、アンネの日記偽書説は科学的な検証の上で完全に否定されている」。

「アンネの日記」はなぜ国際問題化するのか

このアンネの日記を巡る真贋論争の流れを振り返ればわかるように、アンネの日記の真贋を巡る議論が反ユダヤ主義やナチズムの復興と結びつき、1950年代後半以降、反ユダヤ主義的な言説・ナチズムの正統性を唱えるためにアンネの日記が偽書であるとの根拠のない主張が、例えばユダヤ脅威論などの陰謀論的な意見や、ホロコースト・ガス室は無かったというような歴史修正主義的な意見とセットでなされてきたのである。

「アンネの日記」を巡る思想対立と根深い人種差別の歴史があるがゆえに、「アンネの日記」に関する問題は容易に国際問題化する。また、サイモン・ウィーゼンタール・センターが事件に迅速に反応したが、1960年代、徹底した調査でフランク一家を捕縛したドイツ秘密警察の関係者を突き止め、訴追に持ち込んだのがサイモン・ヴィーゼンタールその人であった。ゆえに「アンネの日記」関連は同センターにとって特に重要視される問題ではないかと思う。事件については前述の通り適正な捜査を待つだけだが、政治家など国際的な発信力のある要人はこの件については歴史的な経緯をよく理解した上で慎重な発言が殊更重要であろう。

ところで、本書「アンネの日記 研究版」は絶版でamazonの中古価格を見ても28000円前後(定価11000円)で取引されており、非常に稀少な文献となっている。もし、図書館関係者の方が見ておられたら、本書を開架においているなら一旦書庫に保管してはどうだろうか、と提案したい。僕も返却の際に図書館にそう提案しようと思う。そう、アンネ・フランク一家が逮捕されたあとに残されたフランク一家の協力者ミーブ夫人がアンネの原稿を集めて大事に保管したように。

オランダ戦時資料研究所の当該資料データのページ。調査結果は2001年版に更新されている。(オランダ語)

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