中世欧州の処刑・拷問具「鉄の処女」は実在せず後世の創作という説

現在放送中の深夜アニメ「ウィッチクラフトワークス」のエンディングで流れる欧州の拷問をまとめた記事を書こうかと思っていたらすでに「ウィッチクラフトワークスEDに登場する拷問とは (ウィッチクラフトワークスエンディングニトウジョウスルゴウモンとは) [単語記事] – ニコニコ大百科」にまとまっていたので、同記事や鉄の処女 – Wikipediaにも触れられているように結構定説化しつつある話だが、ヘヴィメタルバンド「アイアン・メイデン」の名前の由来にもなった有名な中近世欧州の処刑・拷問器具「鉄の処女」は実は後世の創作で実在していなかったという説について簡単にまとめておこうかなと。Wikipediaと参考書籍同じなので概ね似たような内容です。

浜本隆志著「拷問と処刑の西洋史」でビーレフェルト大学ヴォルフガング・シルト教授の「鉄の処女、詩と真実」(ローテンブルク犯罪博物館叢書第三巻)という論文を元に、「鉄の処女」非実在説を紹介している。

その理由としては三点に要約できる。
・現存している「鉄の処女」はいずれも後世の模造品であること
・使用されたことを証明するような信頼のおける史料、設備が残っていないこと
・キリスト教下で聖母マリアを模した拷問器具を作ること自体考えにくいこと

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現存している「鉄の処女」はいずれも後世の模造品であること

現存している各地の「鉄の処女」のモデルは「ファイシュトリッツ型」と「ニュルンベルク型」に二種類に分類される。

「ファイシュトリッツ型」

オーストリアのシュタイアーマルクにあるファイシュトリッツ城に備えられていたとされ、ファイシュトリッツ城のディートリヒ男爵が1819~34年に、樽詰めにして頭だけ出してさらし者にする恥辱刑用の用具「恥辱の樽」を購入、「恥辱の樽」の頭部にマリア像を、内部に棘を装着させて製作したもの。1929年に「デューラー展」に出品、1932年に調査の上で、米国人に買い取られた後、1965年にオークションにかけられ、その後はスイスにあるというが所在不明となっている。

「ニュルンベルク型」

ニュルンベルクの銅板彫刻師ゴイダ―が1857年に「ファイシュトリッツ型」を手本にして錠前屋ヴィルトに作らせたもの。「ファイシュトリッツ型」同様にさらし刑用の樽をベースにしてその他の部分が付け足され、一部十五世紀の部品が使われている。「ファイシュトリッツ型」同様に1929年に「デューラー展」に出品され、1932年に調査された後、1944年のニュルンベルク空襲で焼失した。構造の類似点からローテンブルク中世犯罪博物館に残っているのも十九世紀に作られたこの「ニュルンベルク型」のひとつだという。

使用されたことを証明するような信頼のおける史料、設備が残っていないこと

ドイツの伝承や小説によく鉄の処女が登場するという。鉄の処女を描いたものとしてゲーテ(1749 – 1832年)、劇作家クライスト(1777 – 1811年)、童話作家ベヒシュタイン(1801 –60年)らがいる。

ニュルンベルク城内で「鉄の処女」と処刑部屋をスケッチし、「鉄の処女」が神聖ローマ皇帝カール五世によってニュルンベルクに運ばれ、異端審問に使われたとする英国の作曲家ピアサル(1795 –1856)による論文についても『「鉄の処女」伝説を実証しようとする作為が強く』、『フィクションが加えられており、信憑性が薄い』(P159)とされる。

またスペイン異端審問で「鉄の処女」が使われたという説についても全て伝聞の形で語られているもので、異端審問で使用されたという説を紹介した1842年のショベールによる論文でもナポレオン時代にフランス軍がスペインを占領した際、ルイ・ラサール将軍(1775–1809)が聞いた話の記録であるという。以前「今こそ「異端審問」を振り返る~何故スペインで異端審問は激化したのか?」で紹介したように、スペインの異端審問は一五世紀末から一六世紀にかけてピークを迎え、以後形骸化、十九世紀初頭の時点ではほとんど行われていなかった。

異端審問にしろ魔女裁判にしろ通常の司法手続きにしろ、中世以降拷問が日常的に行われたのは確かだが、それらの設備に「鉄の処女」が置かれていた例は現状見つかっていない。

キリスト教下で聖母マリアを模した拷問器具を作ること自体考えにくいこと

そもそも拷問は何故行われたかというと、容疑者から自白を引き出すためである。詳しくは以前まとめた記事「何故、中世の司法制度は「自白」に頼っていたのか?」を参照してもらえばいいが、なぜ自白を重視したか。

『いうまでもなく、教会の悔悛の秘蹟では信徒は「自発的に」告白することを求められた。一見したところ逆説的であるが、異端審問における告白は監禁や拷問の使用が許される強制的な性格が露骨であるにもかかわらず、最終的にはその真理性は告白の自発性によって保障されると考えられた。密室で余儀なくされた告白は、そのあとに被告によって「自分の」ものとして認められなければならない。』(小田内隆「異端者たちの中世ヨーロッパ」P302-303)

自白は、秩序に対する自発的な心からの服従を意味する。キリスト教秩序に服従させるために異端・魔女という罪を自分で告白させ、その告白させることそのものが目的となるから、拷問という手段も正当化される。司法・裁判において自白を重視するというのは、すなわち真実の追求よりも秩序の維持を重視する姿勢といえる。

その守るべきキリスト教秩序で重要なのは聖と俗の分離である。異端審問や魔女裁判などでは、聖職者たちが直接拷問や処刑を行ったようなイメージがあるかもしれないがそれは間違いである。異端審問では拷問にしろ処刑にしろ主導したのは教会(ただし、スペインの場合は教会から独立した国王直属の異端審問官)だが、実施するのは世俗の機関である。聖職者は告白を聴き、裁判の判決を下しはしても、決して手を汚さず、暴力の執行は「世俗の腕」に委ねられていた。

罪を告白させるために「聖母マリア像」が拷問室に設けられていたこと自体は不自然ではないが、拷問・処刑器具そのものが「聖母マリア」を模して作られた可能性は限りなく低い。少なくともカトリック世界においては『聖母像を残酷な拷問愚に用いることは、キリスト教の聖母を冒涜することにほかならない』(P166)。ただし、プロテスタント世界の中でも特にドイツ地域では、ゲルマン神話のヴァルキューレが救済と罰の女神としてあるから、聖母マリアにカトリックほどの特別な感情をもっていなかったため、『被告を威嚇するためだけに限定するならば、可能性がなかったとはいえない』(P166)。

以上、現状では「鉄の処女」が実際に使われていた可能性はほぼ無いと考えられている。何故、十九世紀初頭に「鉄の処女」伝説が作られたのか、浜本は聖母マリアというモティーフ、拷問・処刑の実例とインパクト、鉄の処女が陳列され多くの人の目に触れたことなどを挙げているが、どちらかというとそれは広まった要因であって、そもそも作られた理由とは言い難い。おそらく、伝統的な魔女・異端伝承やロマン主義の台頭、オカルティズムなどなど様々な潮流が結びついていく過程でどこかで考案されたものなのだろうが、「鉄の処女」が作られ、あたかも事実かのようにして広まり、信じられていく過程はまだ解き明かされてはいなさそうだ。

一応補足としてこのあたりが当ブログの関連記事になるか。上三つをあわせてお読みいただくと、中世欧州の拷問や処刑などの司法の様子が分かるのではないかと思う。以下の記事を踏まえつつ、僕も「鉄の処女」は実際には無かっただろうと思う。
今こそ「異端審問」を振り返る~何故スペインで異端審問は激化したのか?
何故、中世の司法制度は「自白」に頼っていたのか?
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