「記憶をコントロールする――分子脳科学の挑戦」井ノ口 馨 著

記憶のメカニズムについて簡潔にまとまった脳科学者による入門本。超わかりやすく手堅い内容で120ページほどの分量と読みやすい、おすすめの一冊です。

書籍版

記憶をコントロールする――分子脳科学の挑戦 (岩波科学ライブラリー)
井ノ口 馨
岩波書店
売り上げランキング: 46,030

kindle版

記憶をコントロールする-分子脳科学の挑戦 (岩波科学ライブラリー)
岩波書店 (2015-07-16)
売り上げランキング: 6,738

タイトルの「記憶のコントロール」からもしかするとライフハック的な「記憶をコントロールする〇個の方法」みたいな何かを期待するかもしれないけれど、マウスに音を聞かせると同時に電気ショックを与えたら恐怖の記憶を覚えている、とか、側頭葉に電流を流したら被験者の記憶がよみがえったとかそういう脳科学の研究上、記憶のコントロールが可能となってきた事例のこと。

本書で紹介されているカリフォルニア大学サンディエゴ校ラリー・スクワイア教授の言葉で色々腑に落ちた。スクワイア教授が記者に答えて曰く『「(脳科学はまだ)物理学にたとえれば、一五世紀か、せいぜい一六世紀のレベル」』(P13)で、それはすなわち『今の脳科学にはまだ、学問としての統一的な体系がない、根本原理もない状態にある』(P14)ということ。一方で、一七世紀になればガリレオ、ニュートンらが次々と登場して科学革命が始まることになるわけで、現在は『脳科学がブレイクスルー寸前』(P14)ともいえるという。

書店に行けば、「脳」に関する本はオカルト的なものからハウツーもの、学術的な研究書まで数えきれないほどあるし、脳という言葉も物質としての脳の他にも、単なる思考の特徴の違いを〇〇脳などと呼んだりもする。そういう脳を巡る話題の混沌も一五~六世紀欧州、近代科学誕生前夜を思い起こすなら意外としっくりくる。

という流れで話題は脱線していくのだが、いわゆる十七世紀の科学革命以前の自然哲学で主流なのは、魔術だ。魔術と科学の違いについて、論者の数だけ定義があるが、特にこの時代の特徴で切り分けてみるなら体系化を重視する流れと実証を重視する流れとがあったといえると思う。魔術師たちはありとあらゆる知識を収集して世界の知の体系化をめざし、近代科学の画期を成すことになるガリレオ・ガリレイは知の体系化には全くと言っていいほど興味を持たず、何より目の前の事実の積み重ね=実証を重視した。数学が分からん奴とは議論する必要ない、みたいなことをガリレオは手紙に書いている。(このあたりの当時を代表する魔術師トンマーゾ・カンパネッラとガリレオとの関係について以前ブログに書いたので参考までに→「ガリレオを擁護した囚われの魔術師トンマーゾ・カンパネッラ」)

少なくともこの時代を振り返ってみるなら、魔術が劣っていて科学が優っているなどと単純に分けることはできない。その雑多な魔術的知識体系が自然科学を胚胎していた。科学は体系化を目指して生まれたのではなく、目の前の事実の把握に注力したことで生まれたのであり、その実証の積み重ねが、自然科学において数百年かけて科学体系と呼べるものを形作っていた。

ということで脱線から復帰して、そんな歴史に思いを寄せてみれば、脳科学が一五~六世紀という指摘から導かれるブレイクスルー直前という言葉にときめきを覚えさせられるというものだ。物理学が数百年かけた蓄積を、脳科学は現代の最先端技術でどれだけ短縮していくのか、そのフロンティアを切り拓こうとする分野の、特に記憶という機能について今わかっていることが丁寧かつ簡潔にまとまった一冊だと思う。

『記憶をコントロールする』moreinfo – 岩波書店

目次
プロローグ――来たれ! 脳科学のガリレオ
なぜ研究者になったか/一冊の本との出会い/氏の生命科学から育ちの生命科学へ/脳科学者への転身/キャデル研究室/アメフラシの記憶/究極のフロンティア/物質としての脳
1 記憶はどこに蓄えられるのか
記憶の中枢は海馬/記憶の分類/遠隔記憶の在り処/大脳は本当に必要か?
2 記憶はどのように蓄えられるのか
セルアセンブリ仮説/恐怖条件付け実験/光遺伝学/利根川研の実験/アロケーション/ニューロンは未来を予言している?/記憶が保持されるしくみ
[コラム1]LTP発見秘話
3 遠隔記憶のナゾ
カハールのドグマ/神経新生の役割/何が閃きをもたらすのか/PTSDの予防/記憶力低下を阻止する方法?
[コラム2]学術雑誌のイラスト
4 記憶と遺伝子の関係
短期記憶と長期記憶/最初期遺伝子の遺伝子の誘導/シナプスの新生/シグナルの伝達
5 記憶はどのようにして正確に保持されるのか
シナプス特異性のナゾ/シナプスタグ仮説/仮説を実証する/記憶の連合/局所タンパク質合成
[コラム3]北米神経科学会
6 思い出した記憶は不安定になる
思い出は美しい?/再固定化の発見/記憶の強化/記憶のアップデート/PTSD治療の可能性/基礎と応用の関係
エピローグ――記憶から探る精神の営み
物質としての脳から精神活動を探る/意識と記憶の関係/意識は記憶そのものか?/記憶研究が明らかにする人間の本質
あとがき

利根川博士によって2012年に実証されたセルアセンブリ仮説、著者によって実証された(されつつある?)シナプスタグ仮説なども非常に興味深いが、再固定化のプロセスはもっとはっきりメカニズムがわかると記憶と忘却の関係がわかって画期的進歩になっていくのだろうなぁ。また、記憶をコントロールすることでPTSDなどの治療にも効果があるかもしれないという指摘も目からうろこである。

記憶から「脳」を知り、記憶から「自己とは何か」を考えたい人におすすめの一冊だと思う。

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