立憲思想の先駆としての幕末のイケメン武士池田長発

幕末の旗本に池田長発(いけだながおき 1837-1879)という人物がいる。最近では遺された写真からイケメンの侍としてネット上で知られているが、歴史上彼が知られているのは、スフィンクス前での記念撮影でお馴染み1863年~64年の遣欧使節団「横浜鎖港談判使節団」(通称池田使節団)の代表としてである。

池田長発
File:IkedaNagaoki.gif – Wikimedia Commons

幕末の混乱期、若干二十七歳で外国奉行に抜擢された長発は、薩長による外国船砲撃、63年10月におきたフランス人士官殺害事件「井土ヶ谷事件」の解決や国内攘夷派鎮撫のための一旦開港した横浜の再閉鎖提案等の交渉のために使節団を組織してフランスへ赴いた。しかし、交渉は全く上手くいかず、賠償金の支払いや輸出関税の撤廃と輸入税の導入など一方的な不平等条約「パリ約定」を結ばされてしまう。一方で長発らは欧州の先進性に驚き、諸国歴訪の交渉予定を大幅に切り上げて帰国、一転して開国の重要性を幕府に訴える上申書を提出。これに対し幕府は「パリ約定」の破棄を諸外国に通告するとともに、長発の領地を半減の上で蟄居を命じ、その他代表団もそれぞれ処分を下した。

幕末外交史上の代表的な失敗例として数えられるものだが、一方で非常に高く評価されている面もある。それは長発らが提出した上申書だ。稲田雅洋著「自由民権運動の系譜―近代日本の言論の力 (歴史文化ライブラリー)」によると、上申書は以下の五項目からなる。(P43-44)
(1) ヨーロッパ各国に弁理公使を置いて欲しい
(2) ヨーロッパのみならず、他の地域の独立国とも条約を結び、万一、戦争になった時の備えにして欲しい。
(3) 西洋の軍隊(海・陸二軍)の長所を学ぶために、留学生を派遣して欲しい。
(4) 西洋諸国の新聞の定期購読者となり、内外の事情に通じて欲しい。
(5) 商業以外の目的でも、外国に行けるようにして欲しい。

特に特筆されるのは以下の部分だ。

『一体西洋各国之風儀は御国杯とは違ひ、君民同権之政治に御座候て、上下議院之論一致仕らず候儀は、政府にても制服仕らせ候権は無之候間、政府へ引合候外、又国民之心を取り候事大切に御座候間、右往復弁論之内には彼是之事情相通じ、自然と至公平之議論を得候て、強弱小大之勢を以て鉗制仕り候様之儀、先は無之都合に相成り居り候。既に彼方之諺にも筆戦と唱へ候て一張之紙数行之墨にても、時に寄り候ては百万之兵卒にも勝り候威力御座候など申し唱へ候位之儀に御座候。右故西洋各国においては、各右社中へ仲間入致し、交際上之儀彼是之議論等、表向きは弁理公使に引合させ、内には右パブリックオヒニオンにて国民之心を傾け候之方略相施し候(後略)。』

上記について、稲田書からと一部僕の要約を加えると以下の通り。
“西洋の各国では、日本などとは違って、君民同権の政治が行われており、上下両議員の議論の一致しないままに、政策を国民に強制することはできない。そのため政府は「国民之心」を大切にして、国民との間での弁論の往復を繰り返す。それを通じて公平な議論が生まれるのであって、力の強弱や大小にとって抑えるようなことはしない。”(稲田P47)”西洋の諺では「筆戦」と呼ばれ一枚の紙切れ、数行の文章でも、場合によっては百万の兵士にも勝る威力があるといわれている。”(引用者訳)”新聞は、対外的には世界の情報を知り正確な情報を得るために、また国内的にはパブリック・オピニオンを形成するために、ともに必要である。” (稲田P47-48)

この上申書は稲田前掲書によれば、『一〇年後に始まる民権運動の思想的エッセンスが表れ』(P48)、外交的には失敗例でも、『日本人の対外間の変化や日本人の立憲制の歴史から光を当てれば、燦然と輝くマイルストーン』(P45)と評価され、上申書を提出した池田長発と副使の河津祐邦、河田煕ら三人は『後の民権運動との間には、人的系譜はまったくない』(P48)が、『「立憲政体の樹立」を理想として掲げたことの確認できる最初の者たち』(P48)とされている。

池田長発は外国奉行解任後、しばらく蟄居期間をおいて改めて1867年に軍艦奉行に任命されるが体調不良で職を辞し、そのまま政治に関ることなく1879年に四十二歳の若さで亡くなっている。

参考書籍・リンク
・稲田雅洋著「自由民権運動の系譜―近代日本の言論の力 (歴史文化ライブラリー)
東京大学コレクション 幕末・明治期の人物群像
池田長発 – Wikipedia

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