「真田三代 幸綱・昌幸・信繁の史実に迫る」平山 優 著

2016年のNHK大河ドラマが真田幸村の生涯を描いた「真田丸」という作品になるそうだ。よく知られているように幸村は後世、創作作品で名付けられた通称で、存命中幸村と名乗ったことはなく信繁が正しい。しかし、江戸時代の軍記物や講談から文学作品、映画・ドラマ、さらに最近ではゲームまで繰り返し真田幸村として登場しており、戦国武将の中でも屈指の知名度を誇る人物だろう。僕も子供のころから様々な作品を通して真田幸村になじんできた。

幸村と信繁、創作上の悲劇の英雄と歴史上の一人の戦国武将との間には少なからぬ違いがある。このイメージと実態との差は信繁に限らず、真田一族全体にいえるもので、その違いを丁寧に解きほぐし、あるいは切り分ける作業が、戦国時代の真田氏研究の大きなテーマとなってきた。本書はその真田氏研究の代表的な研究者である著者による真田幸綱(一徳斎幸隆)・昌幸・信繁の三代記である。本来であれば三代目は信繁ではなく信之(信幸)とするのが妥当ではあるが、『本書では兄信之に及ばないものの、生き延びる道があったにもかかわらずあえて荊の道を歩んだ信繁にスポットを当て、真田三代とすることとした』(P7)と前置きされている。

真田幸綱は信濃一帯に土着して勢力をもった滋野一族の流れを汲む海野一族の裔と自称しているが、実は海野一族となんらか関係があるのは確かながら出自も定かではない。そんな幸綱だが村上氏に奪われた滋野一族の旧領回復を大義として甲斐の武田晴信(後の信玄)に臣従し、調略の才を発揮してめきめきと頭角を現し、滋野一族の旧領を支配下に置き、重臣の一人に数えられるほどまでのし上がる。次代の昌幸は子供のころから信玄の近習として目をかけられ、信玄の戦略を目の前で学び、三男であったことから武藤氏に養子に入っていたが、信玄死後、長篠の戦いで長兄信綱・次兄昌輝が戦死したことで昌幸が後を継ぐことになると、昌幸は真田家当主としてだけでなく、『重臣亡き後の武田氏にとって柱石と位置付けられ』(P152)、父以上の手腕を発揮して武田家存続のため、かなりの活躍を見せた。幸綱・昌幸の二代から浮かび上がるのは、騙し騙され、昨日の敵は今日の友、敵の敵は味方、裏切り上等、な戦国時代のリアルでシビアな諜報戦の姿だ。

特に著者は専門が本能寺の変後の武田旧領を巡る長期の戦乱「天正壬午の乱」の研究ということもあって、本書では「天正壬午の乱」の記述が非常に詳しい。そして「天正壬午の乱」は戦国時代屈指の諜報戦・調略合戦であり、真田昌幸は上杉・徳川・北条・羽柴の列強と諸豪族らを手玉にとって織田家滅亡→上杉→北条→徳川→上杉→羽柴とコロコロと付く相手を変えつつ、登場人物全員悪人のバトルロワイヤルを生き残って武田家の一部将から独立した戦国大名にのし上がった。様々な史料を駆使して丁寧に描かれるその過程から、何故かれが「表裏比興の者」であるのかがよくわかる。昌幸は創作上よく戦国屈指の謀将として語られるが、創作で語られるような無謬な感じではなく、むしろ生き残りのために死力を尽くして徹底的に考え抜いて策を講じ、その過程で策に溺れて絶体絶命の危機に陥りながらも運すら味方につけていったという印象だ。

天正壬午の乱は、一言でいうと上杉は相次ぐ内乱でモンロー主義、北条親子は能天気さが命取り、徳川はいろいろ裏目でドンマイ、という三すくみ的列強情勢に織田家の内紛と急拡大する羽柴の影響力とが複雑に絡み合って、これ戦国時代に詳しい人でも全体像を把握できている人なかなかいないと思うので非常に参考になると思う。しかし、一番関係者が困りそうなタイミングでちょっかいかけてくる佐竹氏には毎度のことながら大草原不可避。

また、本書で思わずニヤリとしてしまったのが、真田家の沼田領を「東国の火薬庫」と評したところだ。絶妙な例えすぎる。細かいところは適当にはしょってざっくりまとめるとこんな感じ。

真田家の沼田城は上野国の要衝で、当初昌幸は諸豪族の情勢を見て北条氏直についたのだが、氏直は昌幸を歓迎しつつ沼田城の接収を公言していた。これに不満を持った昌幸は機をみて沼田城の安堵を約束してきた徳川に寝返り、徳川対北条の直接対決となるのだが、徳川への援軍を明言していた清州会議体制が柴田と羽柴の対立から分裂し増援が望めなくなり、直接戦闘に勝利したものの国力が数倍の北条氏との長期戦では勝ち目がなく、さらに秀吉との対立が先鋭化して危機的状況に陥りつつあった。一方で北条も佐竹・宇都宮が国境を脅かしてきて、直接戦闘で徳川に敗退したこともあって講和の機運が高まり、徳川・北条の講和条件として沼田領の北条氏への割譲が両者で合意される。しかし昌幸は納得いかない。当然だ。そこで昌幸は上杉に寝返り、怒った徳川軍を第一次上田合戦で退けると、上杉に臣従しつつ秀吉と通じて独立を守ろうとする。小牧長久手の戦いとか色々中略しつつ最終的に真田・徳川・北条はいずれも秀吉に臣従を表明するがその際、秀吉の仲介で、沼田領は三分の二を北条に、三分の一を真田に、北条に割譲した三分の二と同等の領地を徳川が真田に与えることで合意・履行されたが、1589年、北条家重臣・沼田城代猪俣邦憲は突如真田家の名胡桃城を攻撃、落城させた。1580年代を通じて常に火種であった「東国の火薬庫」に火がついた結果、空前の大軍勢による小田原攻めが開始され、北条氏は滅亡することになる。

何このヨーロッパ外交。本書は真田氏からみた東国の動乱の模様だが、この天正壬午の乱から小田原合戦へと至る一連の流れは北条氏からみるとまた違った印象を覚えるので、興味のある人は色々調べてみると面白いと思う。ということで真田昌幸を中心に据えた東国の戦乱模様が非常に活き活きと描かれている。有名無名を問わず様々な武将たちが生き残りを賭けて戦い、次々と滅んでいく様はドラマチックだ。

で、三代目の信繁については基本的にオーソドックスな記述である。というのも『真田信繁の生涯をより明らかにするような新史料は発見されていない』(P269)からだ。しかし、著者の信繁に対する思い入れは強く感じられる。おそらく主導権を握ることの出来ない徒労感を抱きながらも献身的な働きによって自ら滅んでいく様が「真田日本一の兵」という称賛で迎えられるまでの生涯だ。

常に情報を制して主導権を握ることで生き延びてきた幸綱・昌幸と、ついに主導権を握ることなく滅びざるを得なかった信繁という対比が浮かび上がってくるのは、非常に興味深い。諸国の勢力が均衡していたことで一部将・小大名でも諜報戦を制することで充分に伍することが出来た時代から、秀吉・家康といった強大な勢力が誕生して小手先の諜報戦が生き残りを無力化し、服従か死かという選択肢しか残されていない時代へと移り変わっていったというようにも見える。

その転換を象徴しているのはやはり関ヶ原の戦いだろうか。昌幸・信繁は東西両軍の狭間で勢力拡大を企図し、信之は家康への服従を選ぶことで生き残りを図る。関ヶ原の戦いで興味深いと思うのは、真田昌幸に限らず黒田如水もそうだが謀将とされる武将たちが長期戦を見越しての戦略を立てて、それが悉く裏目に出ていることだ。上杉や佐竹もそうだな。西軍がまさかの半日での敗北を喫したというのが彼らをしても読めなかったというところだろうが、知将・乱世の梟雄とでも呼べるような人々の読み違いが一気に起きているように見えるところは、単純に個々の武将の失敗という視点を越えてもう少し大きな時代の変化があるようで面白いと思う。

ほか、細かい所で気になるネタをいくつか。真田幸綱と幸隆と二つの呼び方があり後者が一般的だが、『壮年期までの史料に「幸隆」と書かれたものは皆無で』、『彼の諱は「幸綱」であって「幸隆」ではないとみられる』が、「高野山蓮華定院過去帳」に「真田一徳斎幸隆」の記載があることから『幸綱が晩年に「幸隆」と称したことは事実』だろうと考えられている。ただしこの場合、単なる改名ではなく、『出家を機に号したと考えるのが自然』だから、『「ゆきたか」ではなく、「こうりゅう」とすべき』と著者は言う。(以上P109より)このあたりは専門家の間でも見解が分かれているところのようだ。

また、同じく呼び方ネタとして武田氏に穴山信君という人物がいるが、彼については長く「のぶきみ」とするのが定説だったが、武田氏に厚遇された高僧鉄山宗純の「鉄山集」に「ノブタヽ」とふりがながつけられているのがわかり、「のぶただ」と呼ぶことが確実となったという。これ、読むまで「のぶきみ」で覚えていたので、おおそうなのか、と発見だった。

ほかにも、幸綱時代については、ドラマや創作ではほぼスルーされる小山田虎満が実は武田家でかなり重要な地位を占めていたこととか、大河ドラマ「風林火山」で愛すべきキャラとして登場してきた相木氏など色々興味深い。そういえば若き日から真田昌幸と並び称されて、その後も参謀的なポジションで凄まじい活躍を見せ、天正壬午の乱を巧みに生き残っている曽根昌世も無名だけど興味深い人物だ。また真田家臣の矢沢頼綱超強い。

まぁ真田三代は語り尽くせないな。

著者の歴史家としての誠実さは、あとがきにあらわれていて、真田三代、特に真田信繁に対する記述についてこう書いている。

『私たち歴史学徒は、史料にもとづいた事実判断を慎重に行い、それを踏まえた叙述を行う責任がある。そこには価値判断や自身の感情を持ち込むようなことは厳しく制限されねばならない。しかし人文科学においては、事実確認と価値判断の峻別は極めて難しく、ややもするとその混同が問題視される。だが人文科学の作品における事実判断と価値判断の混同については、作品を構成する事実判断と叙述の方法に対する検証によってその可否は評価されるのが通例である。その際に問題とされる場合が多いのは、特定の歴史事象や人物への感情移入が激しいあまり、作品の客観性や中立性が担保されなくなることである。』(P305)

その上で、著者は『自身に課していた掟に背いてしまったかもしれない』(P305)と吐露する。『信繁が感じたであろう無念さや悔しさが想起されてならなかった』と。実際のところ多くの「真田幸村」本と比べて非常に抑制された丁寧な叙述であったと思うが、この著者の葛藤には色々と考えさせられる。

一つには著者が言うように『信繁の生涯の中に、自らの姿を重ねあわせて』しまう魅力が『日本人に根強い真田人気を支え』ているということなのだと思うが、真田人気を始めとした歴史上の人物の人気と言うのは、事実と感情の葛藤と言うより事実の積み重ねが感情をドライブするという点にあるように思う。事実が語られれば語られるほど、感情移入の度が深まり、その結果事実から乖離して、イメージとしての、物語としての人物像が確立していくというある種の永久機関的な再生産の過程があって、歴史叙述については、「史料にもとづいた事実判断」と「それを踏まえた叙述」という人文科学のあるべき論をさらにメタに俯瞰するもう一つの視点が必要なんじゃないか。

真田氏研究は「伝説から史実へ」というプロセスを辿ってきたというが、真田氏研究を一例としつつ、「史実から物語へ」というプロセスの分析という視点を持つことの重要性も示唆しているように思う。

ということで真田氏に興味がある方は様々な発見がありとても面白い一冊だ。

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