「江戸の読書会 会読の思想史」前田 勉 著

読書というのは孤独な営みであり、孤独な愉しみである。そんな読書観は実は新しいものだ。欧州では読書は黙読ではなく音読が主流であり、近世には読書グループが次々と形成されて、それがブルジョワ階級の勃興と対をなしていた。日本ではどうか?江戸時代、漢詩人江村北海(1713-88)は欧州と同じく音読と黙読どちらがいいか、という問いに続けて、「書ヲヨムニ、我独リ読ムガヨキカ、人ト共ニヨミテ、世ニイフ会読スルガヨキヤト問人アリ」と書いているという。

江戸時代、読書の主流となっていたのは「会読」と呼ばれる『定期的に集まって、複数の参加者があらかじめ決めておいた一冊のテキストを、討論しながら読み合う共同読書の方法』(P12)であった。その会読はどのように始まり、どのように廃れていったのか、また会読が与えた影響の大きさについて、近世思想史を概観しつつ、江戸の儒学・蘭学・国学から幕末の思想家たち、明治の自由民権運動までをダイナミックに描き切った超面白い本。

「はじめに」でも書かれている通り、本書が目指しているのはユルゲン・ハーバーマスの公共性論に繋がる、ロジェ・シャルチエ「読書の文化史―テクスト・書物・読解」や当ブログでも以前紹介したホフマン「市民結社と民主主義 1750‐1914 (ヨーロッパ史入門)」が描いた、英仏だけではないブルジョワジーが存在しなかった欧州諸国の読書グループを通じた自発的アソシエーションの勃興と類似の現象としての江戸の読書会の姿を描くことにある。シャルチエは「フランス革命の文化的起源 (岩波モダンクラシックス)」しか読んでいないがアナール学派の一員で「猫の大虐殺 (岩波現代文庫)」でお馴染みロバート・ダーントンとの論争やアナール学派の主流派批判(詳しくは「フランス革命の文化的起源の解説」参照)などで知られている。後者のホフマンの方は別記事『「市民結社と民主主義 1750‐1914」シュテファン=ルートヴィヒ・ホフマン著』に書いたように非常に面白いのでオススメ。

『本書のもくろみは、江戸時代の会読する読書集団のなかから、いかに明治時代の民権結社のような政治的問題を討論する自発的なアソシエーションが生まれていったのか、その過程を辿ることによって、ヨーロッパのみならず、東アジアの片隅に位置する島国日本でも、読書会が大きな思想的役割を果たしていたことを示すことにある。』(P17)

欧州文化史・社会史と日本思想史・社会史とパラレルに興味をもって色々読んできた人は特に楽しめると思う。個人的にはすごくエキサイティングな本だった。

会読は儒学の学習方法の一つとして十七世紀末から十八世紀初めにかけて登場した。伊藤仁斎(1627-1705)や荻生徂徠(1666-1728)が自身の私塾で行ったのがその始まりだといわれている。本書で描かれるのは私塾や藩校での学習であって一般的な寺子屋のそれとはまた別のものだ。

江戸時代、儒学は非常に盛んに学ばれていた。その儒学を学ぶ場において形成されていった三つの学習方法が「素読」「講釈」「会読」であったという。

「素読」は七、八歳ごろから『漢文の意味内容を解釈せずに、ただ声をあげて、文字のみを読み習い、暗誦することを目指した』(P37)学習方法で「大学」「論語」「孟子」「中庸」の四書五万二八〇四文字と五経の中から「詩経」「易経」の全文と「書経」「礼記」「春秋左氏伝」の一部の暗誦が目指された。十八世紀には学者が目指す努力目標であったが、幕末までには――特に教育熱心な一部の藩の場合ではあるが――到達すべき義務となっていたという。

「講釈」は「素読」が終わった十五歳前後から始められた『先生が生徒たちの前で、経書の一章、あるいは一節ずつを講解して聴かせる、口頭で行われた一斉授業で』、山崎闇斎(1618-82)の学派で行われるようになり、のちに儒学全般に広がった。このような上から下への説教としての「講釈」を批判したのが荻生徂徠で『聴講者が自分で「思」うこと、考えることをしなくなってしまう』(P41)という点など講釈の害をあげて批判した。ただし、『すぐれた人物を教育するためのものではないが、学ぶ時間のない為政者や無学な者たちの前で行うには適している』(P43)と講釈の有効性を認めてもいる。

「講釈」とほぼ並行して行われたのが「会読」で、前述の通り私塾や藩校で共同読書として行われた。『会読には、テキストを読む会読と講ずる会読があ』(P46)り、後者は輪講と呼ばれる。

『輪講は七、八人、多くて一〇人程度の生徒が一グループとなり、その日の順番を籤などで決め、前から指定されていたテキストの当該箇所を読んで、講義をする。その後に、他の者がその読みや講述について疑問を出したり、問題点を質問したりする。講者はそれらに答え、積極的な討論を行う。これを順次、講義する箇所と人を代えて繰り返していくもので、先生は討論の間、終始黙っていて、意見が対立したり、疑問がどうしても解決しなかったりしたときに、判定を下すにすぎない。ここでは、基本的に、生徒同士の切磋琢磨が求められている。』(P46)

「会読」は読書を通じての討論の場という特徴を強く持っており、「素読」「講釈」とともにまず儒学で始まり国学・蘭学という十八世紀から十九世紀にかけて登場した分野へと広がっていく。この「会読」には「相互コミュニケーション性」「対等性」「結社性」という三つの原理があるという。これらはいずれも当時の社会常識とは一線を画す原理である。

「相互コミュニケーション性」を特徴付けていた点として私塾にしろ藩校にしろ多くの例で規則で『会読の場では、沈黙せずに、口を開いて討論することを勧めていた』(P56)。幕府の体制は命令と服従の原理に基づいて将軍の御威光の前に平伏しなければならない上意下達のタテ社会である。そのような中では、武士たちの間には『黙って忍従する習慣』(P56)が根付いていた。それだけに、あるいはそれゆえに、討論を推奨される会読は非日常的な空間であったといえる。

興味深いのは「対等性」の原理である。『「討論」においては、参加者の貴賤尊卑の別なく、平等な関係のもので行うという対等性』(P59)が機能していた。これは生徒間であれ師弟間であれ同様で、輪講では先生は第三者的立場だが、読む会読では対等なものとして扱われた。これは社会的な身分関係も排除されたようで、例えばそれが藩主と家臣という関係でも平等に議論が交わされたという。例として挙げられている佐賀藩主鍋島閑叟と藩士久米邦武の藩校弘道館での海防政策を巡る論争でも、鍋島閑叟が久米の直截な意見に声を荒げて反論し、藩主にお詫びをしてはどうかと重役に薦められた教師は「書生が会読で失答したとして御詫びには及びません」と答え、それが認められている。また、福沢諭吉も会読を通じて特に強烈な競争原理が働いていた緒方洪庵の適塾において、身分の高い者が相手でも「学校に行て読書会読と云ふような事になれば、何時でも此方が勝つ」と会読が身分制度から離れた対等な関係性での実力勝負の空間であったことを書いている。

第三の原理である「結社性」として『読書を目的とし、期日を決め、一定の場所で行うことを規則に定めて、複数の人々が自発的に集会する』(P63)という特徴がある。私塾や藩校で行われる公的な会読とは別に、人々は自発的に同好の士を集めて会読を行う読書会を開催、これらの集会を「社中」「社」と呼んでいた。荻生徂徠の門人による会読の会は「蘐園(けんえん)社中」、本居宣長の会読の会は「鈴屋社中」と呼ばれた。また杉田玄白らは集まった蘭学者たちと会読を通じて「ターヘル・アナトミア」の翻訳作業を行ったことを「蘭学事始」に書いている。徒党を組むことが禁じられていた江戸時代、このような会読の会が認められていたのは、『学問も漢詩、俳諧や狂歌と同一レベルのもの、一種の遊戯だと思われていたから』(P67)だという。

以上のような会読の形態と原理について、第一章から簡単に紹介したが、本書では第二章から第六章にかけて、このような特徴をもつ会読が歴史上どのように誕生して、広く浸透していったかが詳細に描かれている。

端的にまとめてしまうと、身分制社会の中で会読は一種のアジールであり、また討論や読解を通じての謎解きの楽しみや優劣を競いあうというような非常に遊戯性の強い競争原理が働く遊びの場でもあった。会読が持つ「相互コミュニケーション性」「対等性」「結社性」は十八世紀から十九世紀にかけて江戸期の社会に根付いていき、やがて会読のテーマが学問的な探究から政治的問題の議論へという変化を経ていく過程で、会読というアジールの境界を越えて、幕末の志士たちの運動を支える公共性を準備する。その公共性の帰結として明治期に民権結社が次々と登場して自由民権運動を起こし、やがて近代学校制度の確立と、遊戯としての学問から立身出世の手段としての学問へのダイナミックな変化、会読と同様の原理性を持つ欧州的な「演説(スピーチ)」と「討論(ディベート)」の定着などの近代化の過程で会読という共同読書の手法は廃れていくことになった。

雑多で多様な公共性を形作った会読という場が近代国家の誕生を準備し、近代国家の誕生によってそれがゆっくりと消滅して忘れ去られていく、というある種普遍的な現象が描かれた一冊で、江戸と明治の連続と断絶とが「読書」を通じて見えてくる。多種多様な史料を駆使して描かれるその姿は非常に鮮やかだ。

目次
はじめに
第一章 会読の形態と原理
1―江戸時代になぜ儒学は学ばれたのか
2―三つの学習方法
3―会読の三つの原理
第二章 会読の創始
1―他者と議論する自己修養の場――伊藤仁斎の会読
2―諸君子の共同翻訳――荻生徂徠の会読
3―遊びとしての会読
第三章 蘭学と国学
1―会読の流行
2―困難な共同翻訳――蘭学の会読
3―自由討究の精神――国学の会読
4―蘭学と国学の共通性
第四章 藩校と私塾
1―学校の二つの原理
2―私塾の会読と競争
3―藩士に学問をさせる――藩校の会読採用
4―寛政異学の禁と闊達な討論――昌平坂学問所の会読
5―全国藩校への会読の普及
第五章 会読の変貌
1―藩政改革と会読
2―後期水戸学と議論政治――水戸藩の会読
3―幕末海防論と古賀侗庵――反独善性と言路洞開
4―吉田松陰と横議・横行
5―横井小楠と公論形成
6―虚心と平等
第六章 会読の終焉
1―明治初期の会読
2―学制と輪講
3―自由民権運動の学習結社と会読
4―立身出世主義と会読の終焉
おわりに

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