日本で初めて反射望遠鏡を作った鉄砲鍛冶「国友一貫斎」

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第一章 江戸の貨幣経済と知識人の台頭、蘭学の登場

十七世紀、戦国乱世の終結による政治的安定は人口増大と経済成長を促した。貨幣経済・商品経済の浸透は競争を喚起し、農民層の分解と格差の拡大、新たな都市富裕層の登場を促す。『俗姓筋目にもかまはず、只金銀が町人の氏系図になるぞかし。』(井原西鶴「日本永代蔵」)と、旧来の身分制度に変わりカネが全ての世の中の到来だ。元禄時代の豪商河村瑞賢は「金銀が天下を馳駆する」と語った。それは同時に、自身の知恵と才覚によって成り上がる世の中でもある。伝統的な紐帯の弱体化は多くの人々を不安にする一方で、人々に独立の気風を与え、学ぶ意欲を大いに促す。

十八世紀に入ると、幕政の行き詰まり、貨幣経済のさらなる進展、飢饉や疫病などによる社会秩序の動揺はより加速、流動化する社会を背景として、新たに登場してきた知識人層はまず漢詩や狂歌などの文化芸術の世界に興味を持ちはじめて三々五々、文人サロンを形成しはじめる。やがて、彼らの一部はオランダから輸入されてきた書物に胸躍らせ、どうしてもその異国の言葉を読みたいと熱望しはじめる。「蘭学」の登場である。老中田沼意次は、蘭学者たちの研究が国内の産業育成や技術の進展に寄与すると考えて彼らを保護、同時に蘭癖大名と呼ばれる異国の産物に興味を持つ諸侯が登場して彼らのパトロンとなった。

杉田玄白・前野良沢らによって翻訳された医学書「解体新書」の登場を皮切りに、平賀源内の様々な発明や鉱山技術の開発・博物学の探究などをはじめ多くの蘭学者たちの地道な努力によって、蘭学は医学・産業技術・天文学・物理学・化学・国際政治・軍事(兵学)など幅広い分野に渡って発展していく。そのような、江戸期の蘭学の精粋を体現した人物として第一に挙げるべきは国友一貫斎ではなかろうか。杉田玄白・前野良沢の挑戦と栄光、平賀源内の模索と挫折、彼らに続く数多の蘭学者の着実な歩みが集まった結節点に国友一貫斎という、あまり有名とはいえない人物がいる。

第二章 国友鍛冶と国友一貫斎

国友一貫斎(九代目藤兵衛重恭)は、安永七年(1778)、和泉境と並ぶ鉄砲の生産地、近江国坂出郡国友村の鉄砲鍛冶のひとつ藤兵衛家に生まれた。

国友鍛冶は、言い伝えによれば天文十三年(1544)、室町将軍足利義晴によって国友村の鍛冶が鉄砲製造を命じられたことに始まる、戦国時代から続く火縄銃製造の技術者集団である。戦国時代、東アジアにおいて日本が諸外国に先駆けて火縄銃の国内製造・大量生産を行うことができたのは国友鍛冶の技術力に拠る所が大きい。国友村の技術者たちが火縄銃製造工程においてとったのは分業制である。彼らは火縄銃を銃身、銃床、機関部(カラクリ)に分解し、それぞれ銃身を鍛冶師、銃床を台師、機関部(カラクリ)を金具師が担当することにした。この製造工程において日本で初めて開発されたのが「ネジ」である。輸入された火縄銃を元にメネジの工法を見出し、大量生産が可能なレベルにまで技術を昇華させる。このネジの開発が後に江戸時代の機械技術を大きく支える基盤となった。

江戸時代にはいっても、鉄砲は狩猟や害獣対策などで生活必需品として重宝されていたから、幕府の管理下でこの技術者集団は国内の火縄銃製造を一手に担う。「国友」はその技術者集団の共通ブランドで分業によって製造された火縄銃には「国友」の銘が打たれた。

この国友村の技術者集団は四つの年寄家と九つの年寄脇家によって統括され、国友一貫斎はその年寄脇家の一つ藤兵衛家の九代目にあたる。寛政六年(1794)、一七歳で家督を継ぎ、鉄砲鍛冶として名を知られるようになる。

第三章 火縄銃技術者から発明家へ

一貫斎が国友の優秀な鉄砲鍛冶から江戸時代を代表する発明家へと変わる転機となったのが文化八年(1811)、三四歳のときにおきた「彦根事件」である。彦根藩が国友の年寄衆を通さず一貫斎に直接大筒の製作を依頼、これに対し年寄衆が異議を申立て、幕府に届け出て係争となった。最終的に年寄衆の言い分は却下され、国友における年寄家の地位が低下することとなる。この事件で文化十三年(1816)から一貫斎は江戸に呼び出されるが、江戸在住時に多くの技術者や蘭学者と交流することが出来たことで、さらなる知識と技術を学ぶことになり、一気に彼の才能が開花した。

近江膳所藩藩医山田大円との出会いが一貫斎に大きな影響を与えた。大円は従来の医術とオランダ医術との融合を目指す医師で一貫斎を様々な人物に引き合わせる。国学者平田篤胤との出会いも彼を通じてで、篤胤門下となった一貫斎は彼の下で幅広い学問を学ぶ。国学というと古典世界の探究、特に篤胤は復古神道のイメージゆえに意外かもしれないが、篤胤は、古史・古伝・文学はもちろんキリスト教や仏教・儒教・神道、さらには天文・医学・物理・蘭学などの科学まで幅広い分野に通じており、彼の門下ではこれらが総合的に学ばれている。一貫斎はこの平田篤胤のサロンで科学技術の基礎知識を総合的に学び、かつ、当時の知識人たちとのネットワークを形成した。

文政元年(1818)、山田大円の屋敷を訪れた一貫斎は、かつて将軍家に献上されたが破損して使えなくなったオランダ製の「風砲」=空気銃を見せられる。国内にはその構造を理解し修理することのできる技術者はいなかったが、修理を依頼された一貫斎は短期間で修理して見せ、さらに、より優れた構造の空気銃を製造、「気砲」と名付けた。当時、空気銃は一般的に「風砲」と呼ばれていたが、空気銃は『単なる「風」の現象で玉が飛ぶのではなく、「気」の圧縮によって玉が飛ぶ』(市立長浜城歴史博物館編「江戸時代の科学技術―国友一貫斎から広がる世界―」P26)という構造を踏まえて彼は「気砲」と呼んだ。『一貫斎は、空気に重量があることに気付いた初めての日本人であった』(同上P26)

国友一貫斎製造空気銃
市立長浜城歴史博物館編「江戸時代の科学技術―国友一貫斎から広がる世界」P37より。国友一貫斎製造の空気銃「気砲」

文政二年(1819)、日本初の空気銃が完成し丹波峰山藩主京極高備に納品、続いて老中酒井忠進の御前で試射して見事標的に命中させて老中から称賛を受け、以後、前の老中松平定信をはじめ水戸・伊勢桑名・伊勢藤堂・播磨姫路など諸侯から注文が殺到、相当数の空気銃が製造・納品されている。修理・製造に際して既存のオランダ製空気銃の構造を詳細に分析するだけではなく当時の蘭学書を相当数参照して理解に努めていたようだ。

空気銃製造によって一躍その名を知られた一貫斎は、松平定信から弩弓の改良を依頼される。従来の弩弓である諸葛弩ではすでに威力が弱く実用的ではないということで、従来の欠点を改良した鋼製弩弓を製作する。その他、「距離測定器」「懐中筆(筆ペン)」、上部に備えられたねずみをかたどった飾りから油が落ちて油皿に油を補給する「ねずみ短檠」は気砲の製作に際して把握した空気圧を原理とする発明品である。また、水戸藩主徳川斉脩から、水戸家に伝わる「魔鏡」――『一見普通の鏡と同じであるが、表面の模様が浮き出る構造を持っていた』(同上P28)――と同じ構造の鏡の製作を依頼され、従来の銅と錫の合金と水銀鍍金による製法ではなく、銅と錫の合金を研磨するだけで同様の効果を得られる鏡、「神鏡」を考案し製造してみせた。この神鏡の製造は一貫斎の次の発明、反射望遠鏡の製作へと繋がる。

第四章 日本初の反射望遠鏡

日本で初めて作られた望遠鏡は享保年間に八代将軍吉宗の命で長崎の眼鏡師森仁左衛門正勝が製作した屈折望遠鏡だという。その後も幾度か屈折望遠鏡が製作、改良され、幕府天文方でも利用されている。基本的に屈折望遠鏡は低倍率で反射望遠鏡とは格段の差があった。ガリレオやケプラーが用いていたのが屈折望遠鏡、グレゴリーが考案・製造し、ニュートンが改良して現代の反射屈折式望遠鏡のベースとなるのが反射望遠鏡で、いわば当時最先端技術の集成と言える。特に蘭学の興隆によってコペルニクスの地動説も紹介(司馬江漢「和蘭天説」(1796))されるなど、知識人の間で望遠鏡への興味は非常に高まっていた。

江戸滞在中、一貫斎は尾張犬山藩主成瀬正壽の屋敷でオランダ製の「テレスコツフ御目鏡」(グレゴリー式反射望遠鏡)を見せてもらい、製作意欲をそそられたようだ。それから十年余りした天保三年(1832)、満を持して一貫斎は反射望遠鏡の製作にかかる。製作過程で「神鏡」の経験が生きた。反射鏡とガラス製レンズの研磨は精密で『百年経過しても曇らないであろうと予測した鏡を製作』(同上P30)でき、太陽観測用のゾンガラスも備えている。天保四年に完成したそれは、オランダ製反射望遠鏡すら凌ぐ超高性能の反射望遠鏡で、諸大名がこぞって購入した。現在、一貫斎製作の反射望遠鏡は四基が現存している。

国友一貫斎作反射望遠鏡
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右)市立長浜城歴史博物館編「江戸時代の科学技術―国友一貫斎から広がる世界」P90より。上田市立博物館蔵「国友一貫斎製作反射望遠鏡」現存する最古の一貫斎作反射望遠鏡。
左)市立長浜城歴史博物館編「江戸時代の科学技術―国友一貫斎から広がる世界」P91より。市立長浜城歴史博物館蔵「国友一貫斎製作反射望遠鏡」現存する中では二号機と推定される。

天保四年より、一貫斎は完成した反射望遠鏡を使って天体観測を開始、月のクレーターや木星の二つの衛星のスケッチ、太陽黒点の観測、月・太陽・金星・木星・土星の観測図面の作成など日本の天体観測史に偉大な足跡を残した。

国友一貫斎の天体観測図
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右)市立長浜城歴史博物館編「江戸時代の科学技術―国友一貫斎から広がる世界」P113より。国友一貫斎による天保七年と推定される観測図。「殊の外高き山見え申し候」とアペニン山脈を評している。
左)市立長浜城歴史博物館編「江戸時代の科学技術―国友一貫斎から広がる世界」P112より。国友一貫斎が描いた天保七年八月九日の月。

第五章 国友一貫斎の影響

天保十一年(1840)、一貫斎は63歳でこの世を去ったが、あまりに卓越したその技術力を受け継げるものはいなかった。

しかし、彼の活動は当時の江戸の技術力を確実に底上げしている。文政元年(1818)、一貫斎は松平定信の求めに応じて国友の火縄銃の製作法を公開。火縄銃に限らず様々な技術は非公開で師匠から弟子へと受け継がれるのが当然の常識を打ち破ってのオープンソース化で彼に教えを乞う人々で溢れた。その中に加賀藩士たちがいる。当時、加賀藩の科学技術は全国でも屈指で遠藤数馬高璟、河野久太郎通義らを中心とした科学者グループがおり、一貫斎は彼らに招かれて砲術の指導を行うほか、気砲や弩弓を献上、その他様々な技術情報をかわすなど非常に密接に繋がりがあった。やがて彼らは幕末の西洋砲術をリードしていくことになる。

また、一貫斎の「気砲」や「ねずみ短檠」に刺激を受けた人形師田中久重(1799-1881)はその仕組みを参考にして空気圧で油を押し上げる灯火器「無尽燈」を製作、後に様々な技術者によって大量生産されることになる「無尽燈」によって技術の大衆化が起こる。田中久重はその後も様々な発明品を世に送り出して「からくり儀右衛門」の名で知られ、やがて田中製造所を創業、久重の子二代目田中久重によって田中製造所は芝浦に移転し芝浦製造所と改名、昭和十四年(1939)、東京電気と合併し東京芝浦電気株式会社が誕生、現在の電機メーカー「東芝」の母体となる。

国友村は幕末まで火縄銃の製造を行い、幕末の動乱においても洋式の大砲・鉄砲の製造を請け負っていたが、明治になると、自転車製造に転じたという。明治十年代後半から自転車が日本に登場、その中でも国友製自転車は好評を博していた。その中でも、国友鍛冶の弟子で鉄砲師として明治政府の軍事産業を外注で受けていた宮田栄助・政治郎親子は明治十四年(1881)、宮田製銃所を創業、のちに自転車製造に転じて宮田自転車となって国内の自転車産業をリードする。政治郎はかつて田中製造所で働いてもいたという。

一貫斎の生涯から浮かび上がってくるのは、当時の江戸の科学者、技術者、知識人、大名、幕府の間に広がるネットワークの存在である。このネットワークの形成に大きな影響があったのが「会読」の存在であったということは以前紹介したとおりだが、このネットワークを介しての情報交換と切磋琢磨、そして技術革新のプロセスがやがて起こる明治の殖産興業と近代化の土台となっていくのである。

参考書籍・リンク
・市立長浜城歴史博物館編「江戸時代の科学技術―国友一貫斎から広がる世界
・中岡哲郎著「近代技術の日本的展開 蘭癖大名から豊田喜一郎まで (朝日選書)
・前田勉著「兵学と朱子学・蘭学・国学 (平凡社選書)
・福田アジオ編「結衆・結社の日本史 (結社の世界史)」(第三章近世文人とその結社1「社中・連中」(揖斐高論文))
・藤木正志著「刀狩り―武器を封印した民衆 (岩波新書 新赤版 (965))
ちょんまげ頭で見た天体
歴史的望遠鏡バーチャル博物館 国友一貫斎の反射望遠鏡
上田市立博物館 国友藤兵衛作天体望遠鏡 PIC_0057-1
天体望遠鏡を作った鉄砲鍛治、国友藤兵衛一貫斎。 – Togetter
田中久重 – Wikipedia
モリタ宮田工業 – Wikipedia

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