「安倍晴明伝説 (ちくま新書)」諏訪 春雄 著

陰陽師安倍晴明というと、様々な伝説に彩られた日本史上のスターの一人である。死後の平安時代後期から様々な伝承が語られ始め、現代でも小説、映画、マンガなど様々な創作作品に登場して人を魅きつけている。僕は丁度世代的に八十年代後半、荒俣宏の「帝都物語」で知り夢枕獏の「陰陽師」や菊池秀行作品など伝記小説で認識した感じだ。

実在の安倍晴明は様々な伝承や創作で語られるような呪術妖術に長けた超能力者ではなく、地味な、しかし政治力に長けた遅咲きの官僚である。平安時代、中国から伝わった陰陽五行思想や道教・密教、修験道などを総合して登場した陰陽道を統括する部署として陰陽寮という組織があった。晴明も陰陽寮に所属していたが陰陽道の能力的にもそれほど秀でていたわけではなく、長らく出世コースから外れていたらしい。彼が歴史の表舞台に登場するのは四十代に入ってからで、丁度藤原道長が権力を掌握していく過程で藤原氏や花山・一条天皇などと深く関係を保ったことで晴明も出世し、大体六〇歳前後までには陰陽寮を統括する立場にまで上り詰めた。当時、長生きであるというのは一つの才能である。晴明は当時としては珍しく八五歳まで生きたから、その経験によって次第に彼の地位は不動のものとなり、彼の末裔が土御門家として代々陰陽道の本流となっていく。

そのような史料から明らかになる歴史上の安倍晴明と、語り継がれる伝説上の安倍晴明とのギャップはどのように生まれたのか、安倍晴明伝説の語り手となった人々を丁寧に解き明かし、安倍晴明伝説をコンパクトに整理したのが本書である。とても面白い。

本書によれば安倍晴明伝説の語り手は三つに分類される。一つは安倍晴明を祖と仰ぐ土御門家の流れを汲む上級陰陽師、次に和泉国の聖神社を中心とした信太明神を信仰する民間陰陽師、最後に僧侶たちである。最後の僧侶たちについては、例えば瀕死の息子を助けるために晴明に相談して自身の命と引き替えに息子の命を助けようとした老人が懸命に念仏を唱えた結果、仏によって息子の命だけでなく自身の命も助けられたというような、晴明伝説をダシにして仏教の優位を語る説話である。

上級陰陽師系晴明伝説の特徴は京都や近江・大和など周辺の伝説が中心で、天皇や藤原氏など権力者に関る内容がほとんどで、賀茂家と友好関係にあり、仏教に対する優位と、民間陰陽師への厳しい姿勢が見られるとされる。ライバルである道満法師や智徳などが民間陰陽師の代表として登場し、晴明に無様に敗れる。式神もこの上級陰陽師系晴明伝説の中で生み出された。式神の由来についても章を割いて説明されていて面白い。いわば、祖先の偉大さを強調した伝説群で、これらが語られる地域は当時の土御門家の活動が盛んであった地域とも重なり合うという。

民間陰陽師系晴明伝説は、まず陰陽道の源流を中国に求め、晴明は狐を母とするなど異常出生伝説を持ち、稲荷神である信太明神との関係が強調され、上級陰陽師系晴明伝説が平安後期から室町時代初期にかけて登場したのに対して、こちらは室町時代末期から江戸時代にかけての成立と新しい。

賀茂・安倍両家による陰陽師の支配体制が確立してから、それ以外の陰陽師たちは賀茂・安倍系の日本的な陰陽道に対するカウンターとして自身の術のルーツを中国に求めた。彼らは次第に宗教系の被差別民と一体化して広く浸透し、江戸時代に陰陽師が土御門家の下に全て編成されていく過程で、特に和泉国聖神社を信仰していた陰陽師系の被差別部落の人々を中心として、聖神社の祭神である信太明神と、安倍晴明と信太明神とを関連づけるような伝承を多く生み出したと考えられている。晴明伝説と被差別民については折口信夫以来の民俗学・宗教学の分野での着実な研究成果があって、本書もそれらに基づいている。このような民間陰陽師系晴明伝説は江戸時代に作者不明の仮名草子「安倍晴明物語」(寛文二年(1662)成立)に集成され、これをベースにして浄瑠璃など様々な演劇作品として親しまれ、広く浸透した。

このあたりの民間陰陽師、特に江戸時代の陰陽師系の職業の宗教者たちについては差別問題とも大きく絡み合うので深くは語れないが、被差別者であると同時に近世の様々な信仰の担い手として歴史上大きな役割を果たしていたことは様々な研究で語られているところだ。明治時代になると陰陽道そのものが四民平等・文明開化のスローガンを前にして廃止されるわけだが、その中で彼らは新宗教の誕生とも深く関連していくことになる。そのような、身分秩序の周縁に追いやられた人々の自身の職分に対する職業観、信仰、生活、秩序との距離、様々な差別と近世社会などとの関係の中で、虚像としての「安倍晴明」を自身の生活の中でどのように捉え、位置づけていったのか、という形成過程に一つの姿を示していて興味深い。

実在でありながら創作上語られることが多い人びとというのは古今東西様々な世界にいる。日本史だけでも本書で語られる安倍晴明をはじめ、空海、行基など宗教者、様々な怨霊伝説から織田豊臣徳川など戦国武将、近世になれば水戸黄門など数えきれない。一つには創作上の様々な伝承をそのまま捉えて楽しむというスタンスがあり、その反対に様々な史料を駆使して実像に迫るというアプローチがある。しかし、また別に、その様々な伝説や逸話を語っていたのは誰で、どのような意図や思いを込めて語っていたのか、また彼らに語らせていた社会的背景や要因は何かを探究するという視点もまた、非常に重要だ。それを安倍晴明伝説に対して試み、伝説の成立過程と、歴史の陰に隠れた民間の陰陽師たち、あるいは江戸時代の身分職分体系の周縁に位置した被差別民たちに光を当てた、意欲的な一冊となっている。特に僕もその最後の視点に立って歴史を捉えることに魅力を覚えているので、そういう共通点から様々な興味をそそられる内容だった。

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