「ろくでなし子」氏事件から垣間見る日本の警察・司法制度の諸問題

ろくでなし子さんの事件について、話題の中心になっているわいせつ問題については、僕は語るに足る見識を持っていないので何も書けることは無いが、以下の記事のろくでなし子さんが語る取調べ時の警察の対応について、これまでの様々な事件と同様に、現在の警察・司法制度の問題点を垣間見ることが出来る内容だと思ったので少しまとめておきたい。

女性器3Dデータ事件 「ろくでなし子」が警察の“ウソ”を激白 〈週刊朝日〉-朝日新聞出版|dot.(ドット)
 連行された警視庁小岩警察署で待っていたのは、「誤導」するかのような“ウソ”の数々だった。ろくでなし子さんが憤る。

「まず、黙秘権の説明はされませんでした。供述調書作成の途中で『あ、言ってなかった』と初めて伝えられました。また、私が頒布したとされるデータを鑑定した科学捜査研究所の資料を見せられて『科捜研がわいせつと認めてるんだ』と説明されました。科捜研に認定と言われると、私も『わいせつなのか』と弱気になりました」

 さらに、弁護士をつける権利を説明されたのは、取り調べの最後だった。

「警察官から『弁護士さん呼べるけど、1回しか来ないし、2回目からはお金がかかるよ。四、五十万するけど、どうする?』と言われて……。金銭的に余裕がないので、諦めたんです」

(中略)

須見弁護士と接見して初めて、科捜研がわいせつかどうか判断できるわけがないことや、当番弁護士は日弁連の「刑事被疑者弁護援助」を利用すれば弁護士費用がかからないこと、当番弁護士が呼ばれて来ないことはあり得ないということなどがわかった。

 逮捕から6日後、弁護団が申し立てた「勾留に対する準抗告」が認められて、ろくでなし子さんはようやく釈放された。

「警察は、とにかく私を孤独にしたかったんだと思います。弁護士さんがいなければ、私が悪いと認めていたかもしれない」

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科捜研と科学的証拠を巡る諸問題

科捜研(科学捜査研究所)は警視庁および各道府県警察本部の下に置かれた科学捜査の研究、鑑定を行う組織である。DNA鑑定等の「法医学」、ポリグラフ検査や犯罪心理などの「心理学」、筆跡・印章・通貨鑑定などの「文書鑑定」、機械・銃器・火災・音声鑑定等の「物理学・工学」、麻薬・薬物や樹脂等の「化学」などの分野で研究・鑑定を行うことを主な業務とする。類似の科学捜査を行う組織として警察庁に設けられた「科学警察研究所」、警視庁・各刑事本部刑事課内に設けられた「鑑識課」があり、それぞれ相互に協力関係にある。

と、いうわけで記事中でも弁護士が指摘している通り業務内容から言って「科捜研がわいせつかどうか判断できるわけがない」のだが、このような『科捜研がわいせつと認めてるんだ』という発言にみられるような被疑者を”落とす”ために「科学的証拠」を恣意的に利用することはこれまでも繰り返し行われてきたし、ときには冤罪の温床ともなってきた。

浜田寿美男著「自白の心理学」(2001年)では、つい先日2014年三月に再審決定・被告の保釈がされた袴田事件で、その過程で「血痕の残るパジャマ」という物証そのものが捏造された疑いがあったことを例に出しつつ、科学鑑定が利用されていたことを指摘する。

『冤罪にはしばしば鑑定問題がつきまとう。しかしそこでの問題は多くの場合、純粋な科学鑑定そのものではない。問題はむしろ、捜査と鑑識が一体になり、科学鑑定がことばによる物語の渦巻くなかに巻きこまれていることにある。鑑定機関が捜査機関から独立し、特定の容疑を抱いた捜査とは別に鑑定が行われるのでなければ、望むべき結論を念頭においたご都合主義の鑑定が出てくる危険性をまぬがれることはできない。』(P197)

捜査の過程で様々な物証が発見されていくが、物証だけで有罪にすることはできない。その物証がいかに用いられていったかを明らかにしていく必要がある。往々にして、その過程で物証をいかに用いたかの物語が創作されることで冤罪事件が作られることになる。

『科捜研がわいせつと認めてるんだ』は、これまでの数々の冤罪事件で行われた『科学鑑定がことばによる物語の渦巻くなかに巻きこまれている』状況を作りだしてきたのと同様の効果を生み出しているという点で、おそらく警察の中に少なからず広がっている証拠の恣意的利用を行ってきた心理を背景とした発言だと思う。

従来の冤罪事件ではそのまま証拠類が都合良く供述調書の中で役割を与えられたり、場合によっては証拠偽造が行われた。今回の捜査員の軽い気分での発言と証拠偽造を行うこととの間には大きな壁があるが、裏を返せば壁が一枚あるだけで、捜査員の心理としてはおそらく非常に近いものがあるのではないか。

少し「証拠」について整理しておこう。

『証拠能力は、まず、それを取り調べることが無意味とならない程度の証明力をもっているか(自然的関連性)、さらに、事実認定を誤らせ、偏見・争点の混乱をもたらすおそれがないか(法律的関連性)という基準によって判断される』(「刑事訴訟法」P197)

このような前提で「科学的証拠」については、科学的証拠の自然的関連性を認めるために二つの基準が判例で示されている。(「刑事訴訟法」P198)
1) 科学的根拠があり、科学的知見を適切に応用した技術であるという原理的な妥当性
2) 検査者に必要な資格があり、正確な機器を用い、適切な検査手順によって行われたという具体的検査方法の適切性

以上のように、科学的証拠の分析から認定に至る過程は法制度上もかなり適切に整備されている。問題は、そうやって出された証拠の取り扱いが、非常に恣意的に利用され、往々にして鑑識部門と捜査部門との共犯関係の中で創作されることにある。この点で、前述の浜田の文章にあるように、科学捜査部門の第三者機関化、というのは重要な提言であると思う。

証拠なき確信と被疑者の孤立

浜田寿美男著「取調室の心理学」によれば、捜査官が陥りやすい心理として「証拠なき確信」があるという。

『とくに大きな事件でマスコミに騒がれ、事件が解決しないことを世間から攻められたりすれば、捜査側はまだ証拠が定まらないところで、疑わしいというレベルの情報をあれこれと集め、さらにそこから被疑者を逮捕して自白を求め、証拠固めのために被疑者と犯行とを結びつける目撃供述を強引に引き出そうとするケースが出てきます。
まして被疑者の容疑を決定づけるかのように見える証拠が一つでも出てくると、全体的な状況を見定めることなく、それだけで確信へと突っ走ってしまうこともあります。』(浜田「取調室の心理学」P63)

というわけでお約束の台詞「証拠は挙がってるんだ、素直に自供したらどうだ」が吐かれるわけだが(刑事ドラマだけではなく実際にそう言われたという冤罪事件の例(1999年の宇和島事件)が浜田著「自白の心理学」で紹介されているので事実はドラマよりも奇なりである)、その挙がっている証拠は往々にして捜査官の思い込みによる証拠のように見える何かでしかない。にも拘わらず捜査官はそれが動かぬ証拠で、目の前の被疑者は真犯人だと確信してしまう。確信しているからこそ、断固とした態度で取り調べに臨むことが出来る。これは裏を返すと「疑わしい」というのが、心理的に不安定な状態であるからこそ、証拠なき確信に囚われるということでもある。(取調べ可視化はこのような陥穽から捜査員を救うことでもある)

一方で被疑者は孤立した状態に置かれる。ろくでなし子さんの例でも弁護士には費用が掛かる、一回しか来ないといったウソまでついて孤立した状況に追い込もうとしているが、様々な事件の取調べ過程でも、様々な手を使って被疑者を孤立した状況に立たせようとしている。

最終的に無罪が確定した1974年の二幼児変死事件「甲山事件」で逮捕された女性は、ずっと無実を訴え続けていたが、無実を信じていると励ましてくれた父との面会後、突如、自白に転じた。以下、名前の部分を伏せて当時の取調官が被疑者に語った内容を引用する。

『〇ちゃん、さっき捜査員がお父さんを車で送っていきましたが、お父さんは車の中でふーっと大きな溜息をついたそうです。〇ちゃん、この溜息は何だと思いますか。この溜息は〇ちゃんを疑っている溜息です。ひょっとしたらうちの〇ちゃんがやったのではないかという溜息です。――〇ちゃん、親というものは、たとえ子がやっていても、うちの子にかぎってそんなことはないと思うのが親心ですよ。〇ちゃんのお父さんはそうではありませんね。〇ちゃんを疑っているのです。その苦しみが大きな溜息になって出たんです。ぼくら捜査員は人間の一挙一動を絶対に見逃さないように完璧に訓練されていますから、このことは絶対に間違いありません。――〇ちゃんを信じている者は、もうこの世には誰もいないのですよ。』(浜田「自白の心理学」P81-82)

孤立無縁な状態に追い込まれていた唯一の心の支えであった父からの信頼を崩された被疑者の女性は泣きながら犯行を自白したという。後に改めて否認に転じ、処分保留のまま釈放、しかし、検察審査会は不起訴不相当として、78年に再逮捕、最終的に無罪が確定するのは1999年のことだ。実際証拠は全くなく、当初から冤罪が非常に濃厚な事件であった。

このように、孤立させることで被疑者を追いこむのは一般的に行われているようだ。甲山事件などを始め、様々な事件で似たようなテクニックが使われている。ろくでなし子さんの「警察は、とにかく私を孤独にしたかったんだと思います。弁護士さんがいなければ、私が悪いと認めていたかもしれない」という言葉は現状の取調べ体制をそのまま表している。

制限された被疑者の権利

実際のところ、被疑者には様々な権利が認められている。被疑者は不利益を受ける立場であるから、『捜査手続上被疑者の人権が保障されていなければ、その後の公訴権・刑罰権の発動も適正さを欠くものとなる。』(上口裕他編著「刑事訴訟法 第五版」P95)そのため、『「被疑者」という法的地位には、捜査活動の当・不当を批判するとともに、必要に応じて自己に有利な証拠・証人・事情等を収集するなど包括的な防御を行う権利が伴っていると解すべきである』(上口P95-96)

具体的には
1) 弁護人依頼権
2) 接見交通権
3) 黙秘権
4) 防御のための強制処分
5) 一般面会

である。この中で黙秘権のみ、取調官が被疑者に告げることになっているが、米国で適用されているミランダ警告は

You have the right to remain silent.(あなたには黙秘権がある。)
Anything you say can and will be used against you in a court of law. (供述は、法廷であなたに不利な証拠として用いられる事がある。)
You have the right to have an attorney present during questioning.(あなたは弁護士の立会いを求める権利がある。)
If you cannot afford an attorney, one will be provided for you.(もし自分で弁護士に依頼する経済力がなければ、公選弁護人を付けてもらう権利がある。)
ミランダ警告 – Wikipedia

というように黙秘権の他、接見交通権、弁護人依頼権と、供述が不利な証拠となる可能性についても告知することとなっている。

ただし、日本において問題になっているのは、接見交通権に一定の制限を設けられている点にある。刑事訴訟法第三十九条第三項で『捜査のため必要があるときは、公訴の提起前に限り、第一項の接見又は授受に関し、その日時、場所及び時間を指定することができる』として、勾留以後、検察官が指定権限を行使しており、一回十五分~二十分程度で、毎日認められるわけではないという状況が少なくない。

弁護士へのアクセスについては国連拷問等禁止委員会でも日本に対し再三勧告が出されている。

拷問の禁止に関する委員会の最終見解(2013 年 6 月 28 日)

『刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律の下,警察の捜査機能と留置機能が公式に分離されていることに留意しつつ,委員会は,締約国の条約上の義務順守を弱めることになる代用監獄制度における保護措置の欠如について深刻な懸念を表明する。特に委員会は,この制度上,とりわけ逮捕から最初の72時間は弁護士へのアクセスも制限され,被疑者に保釈の可能性がなく,最大で23日間警察の留置施設に収容されうることを遺憾に思う。警察の留置施設における起訴前拘禁について効果的な司法的コントロールが欠如していること,また,独立した効果的な監査及び不服申し立て制度が欠如していることも,深刻な懸念事項である。更に委員会は,かかる起訴前拘禁制度の廃止又は改定が必要ではないという締約国の姿勢に遺憾の意を表明する。』

また、勧告として

(c) 取調べの全過程において,弁護士に秘密裏にアクセスする権利,逮捕された瞬間から法的支援を受ける権利,自らの事件に関する全ての警察の記録にアクセスする権利,独立した医療支援を受ける権利,そして親族に会う権利を含む,全ての被疑者の起訴前勾留におけるあらゆる基本的な法的保護措置を保障すること;

が挙げられているが、日本が「外圧に対する毅然たる態度」を続けているのは周知の通りだ。
さらに黙秘権についても、落とし穴がある。

『無実の被疑者のほとんどは、黙秘権のことなど一顧だにせず、懸命に弁解する。きっと取調官にもわかってもらえるはずだと思うのである。真犯人なら弁解してもその弁解に自信はもてまいが、無実の人は、自分は無実だと知っているだけに、わかってもらえるはずだとの思いが強い。もちろんそこで無実の証拠が出せれば問題は無い。しかしそれは至難のことである。取調官にも無視できないような明確なアリバイを立てられれば、無実が明かされるかもしれないが、現実にはそうそううまくいくものではない。
それでもやはり無実の人は「私はやっていない」とくりかえす。しかしその弁解をそのまま素直に聞いてはくれない。逆に取調官からは、おまえが犯人だという証拠があると言われる。』(浜田「自白の心理学」P97)

そうやって、孤立無縁な中でやり取りを繰り返すうちにあきらめてしまったり、弱気になって自分が真犯人であったかのように勘違いして行ったり、あるいは厳しいやり取りに疲れてその場を取り繕うために取調官に迎合してありもしない自供をしたりする。無実であろうとなかろうと黙秘しない方が、取調官には好都合なのだ。しかし、無実の人ほど「自身の潔白を分かってもらいたい」一心から黙秘権を行使しない傾向が強くなるので、この初動段階で黙秘権の行使をするべきといった取調への対応方法の弁護士の適切な助言が得られるかどうかが非常に重要になる。しかし、勧告を受けているようにここで弁護士へのアクセスを制限されるから、自ずと冤罪を生みやすい状況が作られている。

黙秘権の行使をさらに困難にしているのが、代用監獄の存在である。刑事訴訟法より。

第百九十八条  検察官、検察事務官又は司法警察職員は、犯罪の捜査をするについて必要があるときは、被疑者の出頭を求め、これを取り調べることができる。但し、被疑者は、逮捕又は勾留されている場合を除いては、出頭を拒み、又は出頭後、何時でも退去することができる。
○2  前項の取調に際しては、被疑者に対し、あらかじめ、自己の意思に反して供述をする必要がない旨を告げなければならない。

つまり、逮捕叉は勾留されている場合、『出頭を拒み、出頭を拒み、又は出頭後、何時でも退去することができ』ない、すなわち取調室への出頭義務・取調べ受忍義務があると解されるが、ここで問題になるのが勾留期間の問題である。

法二百八条により、勾留期間は「勾留の請求をした日から十日以内」で、公訴の請求をしなければ釈放されるというのが原則だが、同条二項により『やむを得ない事由があると認めるときは』、『十日を超え』ない範囲で延長が出来る。また、逮捕勾留は同一被疑事実につき一回しか許されない逮捕・勾留一回性の原則(法百九十九条)があるが、裏を返すと一罪ごとに勾留期間が認められるので、一罪ごとに拘留期限ぎりぎりで逮捕状が発行され勾留期間延長が繰り返されることになる。さらに、法百九十九条第三項で『同一の犯罪事実についてその被疑者に対し前に逮捕状の請求又はその発付があつたときは、その旨を裁判所に通知しなければならない』として、『同一被疑事実で再度の逮捕令状請求がなされることを予定している』(上口P95)、すなわち逮捕・勾留一回性の原則は事実上空文化している。その結果、再逮捕・勾留が繰り返され、逮捕以降最大二十三日しか認められていないはずの勾留が数ヵ月に及ぶことになる。これが悪名高い代用監獄制度を可能としている。

憲法三十八条で認められた黙秘権のうち、供述を拒む権利と共に黙秘権を構成する出頭拒否権は、超長期の勾留を可能とする制度設計によって事実上否定されることになる。

このような勾留に対する救済手続きとして、法四百二十九条第一項二号で勾留裁判に不服がある場合に取り消しまたは変更を求めることができる(準抗告)。また、法八十七条で『勾留の理由又は勾留の必要がなくなつたときは、裁判所は、検察官、勾留されている被告人若しくはその弁護人、法定代理人、保佐人、配偶者、直系の親族若しくは兄弟姉妹の請求により、又は職権で、決定を以て勾留を取り消さなければならない。』、法九十一条で『勾留による拘禁が不当に長くなつたときは、裁判所は、第八十八条に規定する者(勾留されている被告人又はその弁護人、法定代理人、保佐人、配偶者、直系の親族若しくは兄弟姉妹)の請求により、又は職権で、決定を以て勾留を取り消し、又は保釈を許さなければならない。』とされているが、なかなか認められないし、またどうみても『勾留による拘禁が不当に長く』なり請求がなされているにも関わらず裁判所が勾留取り消しを行わないことが多々見られる。

日本でもミランダ警告の導入をという意見は多いし、僕も同感だがそのためには、これらのミランダ警告の原則そのものに抵触している諸問題を解決する必要がある。

相互牽制が機能不全を起こした司法制度

このような超長期の勾留、弁護人不在の取調べ、代用監獄、可視化の拒否、黙秘権・接見交通権の実質的制限、自白重視と供述調書の創作、検察主導の捜査、慢性的に繰り返し起きる冤罪等々の諸問題の背景となっているのが、監視・相互牽制が効かない警察・司法制度にある。

逮捕から判決までの司法プロセスを単純に分解すると、捜査→公訴→事実判定→法の適用→量刑となる。通常の民主主義諸国ではこれらはそれぞれ独立して相互に牽制しあうシステムが設計されて、様々な矛盾や不都合がありつつも全体として相互牽制・監視のシステムとして機能しているものだ。米国では警察が捜査を行い、検察は捜査・証拠収集には従事せず公判活動を行い、事実判定は陪審員、法の適用から量刑が裁判官の職務となって、相互に牽制しあう。

日本の場合、捜査権は警察が、公訴権は検察がそれぞれ分担するが、検察は公訴の提起だけではなく刑事訴訟法第百九十一条で『検察官は、必要と認めるときは、自ら犯罪を捜査することができる。』として捜査権も持つ。あわせて、検察制度は全国的に統一された組織を持ち、すべての検察官の活動が一体のものとみなされる「検察官同一体の原則」に貫かれ、検察官以外の私人に起訴を行う権限は認められていないから、起訴不起訴を行う権限を独占(「起訴独占主義」)している。公訴権を独占し、捜査権を総覧する強大な検察の存在は、警察の捜査権を従属的な地位に置くことになる。接見交通権も弁護士のアクセスが限定的なのに対し、検察官のアクセスは捜査の名の下に随時行われる(検察による接見交通権の独占問題)。捜査は公判の維持を目的としたものにならざるを得ず、そこに様々な問題を生む原因がある。

裁判を公平なものとするため、刑事訴訟法第二百五十六条六項に『起訴状には、裁判官に事件につき予断を生ぜしめる虞のある書類その他の物を添附し、又はその内容を引用してはならない。』として、予断の排除が定められている。これを「起訴状一本主義」という。起訴状一本主義そのものは至極妥当なものだ。しかし、これに前述の強すぎる検察という問題が重なるととたんに司法の形骸化につながる。警察の捜査を受けて、その妥当性を客観的に検察が判断した上で公訴を提起して初めて、警察・検察・裁判所の相互牽制が可能となるが、警察と検察が一体の場合、起訴状一本主義は機能しない。捜査権・公訴権が一体になっている多くの国では予審判事制度が取られ、裁判所も捜査権を持つが、日本では戦後、予断の排除の名目で廃止されている。予審判事制度の停止は世界的な流れなので、やはり検察と警察の関係に問題の焦点があてられるべきだろう。

事実判定の局面でも、多くの国では陪審制・参審制など市民参加での制度が取られ、市民の監視による司法制度体制の相互牽制が図られるが、日本の裁判員制度は似て非なるものだ。特に注目しなければならないのが裁判員制度に先だって2005年から導入された「公判前整理手続」である。裁判員裁判の場合に必ず行われる「公判前整理手続」は非公開で裁判官、検察官、弁護人の三者で裁判員を抜きにして証拠の選定を行うもので、裁判の円滑化を名目としているが、一方で事実上の秘密裁判ではないかという批判もある。また、裁判員の判断を待たずに証拠の事実判定を行うことに繋がるという懸念や、予断の排除の原則に外れるという指摘もある。また、裁判員裁判も、三人の裁判官(うち一人は裁判長)が参加ことと定められており(裁判員法第二条二項)、事実上裁判官に従属するものとなりうる危険性がある。

司法プロセスの形骸化と同じく捜査過程の形骸化も問題として存在している。通常、捜査過程は事件現場を中心とした基礎資料の発見収集を行う「初動捜査」、犯人の特定を目指す「本格的捜査」、取調べによる確認作業などを行う「裏付け捜査」の三段階に分かれるが、多くの国ではこれらは役割分担が行われて例えば初動捜査での誤りがあっても「本格的捜査」段階で修正が行われるなど相互牽制が行われることになる。

『ところがわが国では、この任務分担が行われず、初動捜査の誤りが後々まで尾を引いて、冤罪多発の一因になっている』(奈良新聞社編「司法の犯罪(冤罪)は防げるか」P273)

警察・司法制度の様々な面で見られるチェック機能・相互牽制機能の機能不全が、ある種独特の警察文化を形作り、冒頭のろくでなし子さんの例にみられるような「ウソ」の数々を吐く捜査官を育んでいるのではないか。警察・検察・司法制度の構造改革は待ったなしの状況にあると思う。

相互牽制の重要性は今更論じる必要もないと思うのだが、敢えて原典に戻って引用しておこう。近代憲法の父マディソンが米国憲法の必要性について論じた「ザ・フェデラリスト」(1787年)の第五十一篇より。

『しかし、数種の権力が同一の政府部門に次第に集中することを防ぐ最大の保障は、各部門を運営する者に、他部門よりの侵害に対して抵抗するのに必要な憲法上の手段と、個人的な動機を与えるということにあろう。防御のための方途は、他の場合におけると同様、この場合も攻撃の危険と均衡していなければならない。野望には、野望をもって対抗させねばならない。人間の利害心を、その人の役職に伴う憲法上の権利と結合させなければならない。政府の権力濫用を抑制するために、かかるやり方が必要だというのは、人間性に対する省察によるものかもしれない。しかし、そもそも政府とはいったい何なのであろうか。それこそ、人間性に対する省察も最たるものでなくして何であろう。万が一、人間が天使ででもあるというならば、政府などもとより必要としないであろう。またもし、天使が人間を統治するというならば、政府に対する外部からのものであれ、内部からのものであれ、抑制など必要とはしないであろう。しかし、人間が人間の上に立って政治を行うという政府を組織するにあたっては、最大の難点は次の点にある。すなわち、まず政府をして被治者を抑制しうるものとしなければならないし、次に政府自体が政府自身を抑制せざるをえないようにしなければならないのである。』(マディソン他「ザ・フェデラリスト」P238)

近代民主主義国家の制度設計において相互牽制が重視されるのは、理念としてはモンテスキューだが、具現化のモデルとしてはこれが源である。近代民主主義国家である限りにおいて、『政府自体が政府自身を抑制せざるをえないようにしなければならないのである』。

あわせて「人および市民の権利の宣言(フランス人権宣言)」(1789年八月二十六日)

『第一六条(権利保障と権力分立) 権利の保障が確かでなく、権力分立も定められていないような社会はすべて、憲法をもつものではない。』(「新版 世界憲法集」P341)

日本の司法制度の問題点は、一つ一つの条文だけならば特に問題あるように見えないものが、法の条文同士、あるいは実運用されている組織や体制も含めて相互に作用しあった結果として、憲法の理念や相互牽制機能の空洞化をもたらしているという点にある。形式的には正しいことを唱えつつ、複雑に絡み合ったその正しい諸要因の相互作用の結果生み出されているのが、無責任にして無制限な権力濫用を可能とした体制であるところに、問題の根深さがある。すなわち、一刀両断できる類の問題ではないということだ。ゆえに、一つ一つ絡み合った糸を解きほぐしていく不断の努力が最も必要な問題となっている。この体制改革なくして司法制度において『最も先進的な国の一つ』と称することなどは出来ないだろう。

参考書籍・リンク
・上口 裕、後藤 昭、安冨 潔、渡辺 修編著「刑事訴訟法 第5版 (有斐閣Sシリーズ)
・浜田 寿美男 著「自白の心理学 (岩波新書)
・浜田 寿美男 著「取調室の心理学 (平凡社新書)
・奈良新聞社編「司法の犯罪(冤罪)は防げるか―裁判員制度を検証する
・A.ハミルトン、J.ジェイ、J.マディソン著「ザ・フェデラリスト (岩波文庫)
・高橋和之編「新版 世界憲法集 (岩波文庫)
刑事訴訟法
裁判員の参加する刑事裁判に関する法律
検察庁法
拷問の禁止に関する委員会の最終見解(2013 年 6 月 28 日)
ミランダ警告 – Wikipedia
業務概要紹介 │ 科学警察研究所
科学捜査研究所 – Wikipedia
グラフ警視庁 科学捜査 :警視庁

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