ドイツ徴兵制停止までの経緯

ドイツ連邦共和国憲法(ボン基本法)では第十二a条で兵役及び代役義務が定められている。

『高橋和之編「新版 世界憲法集 (岩波文庫)」P174-176
第十二a条[兵役及び代役義務] (1) 男子に対しては、満一八歳より、軍隊、連邦国境警備隊又は民間防衛団体における役務に従事する義務を課すことができる。
(2) 良心上の理由から武器を伴う軍務を拒否する者に対しては、代役に従事する義務を課することができる。この代役の期間は、兵役の期間を超過してはならない。詳細は法律がこれを定めるが、良心の決定の自由を侵害してはならず、かつ、軍隊及び連邦国境警備隊に何らかかわることのない代役の可能性をも考慮したものでなくてはならない。
(3) 第一項又は第二項に定めた役務に徴用されていない兵役者に対しては、防衛出動事態において、法律により又は法律の根拠に基づいて、民間人の保護を含む防衛を目的とする非軍事的な勤務のために、労働関係に入るよう義務付けることができるが、公法上の勤務関係に入るよう義務付けてよいのは、警察的任務、又は公法上の勤務関係においてのみ履行し得る公行政の高権的任務を引き受けさせる場合に、限られる。第一文の労働関係は、軍隊においてはその給養の分野で、公行政におけるのと同様に、これを認めることができるが、民間人の給養の分野において労働関係に入る義務を課すことは、民間人の生活に必要な需要を充たし、又は民間人の保護を確保するためにのみ許される。
(4) 防衛出動事態において、民間の衛生施設及び医療施設並びに常駐の野戦病院における非軍事的勤務の需要が志願者のみによっては充たされないときは、法律により又は法律の根拠に基づいて、満一八歳から満五五歳までの女子をこの種の勤務に徴用することができる。女子は、いかなる場合にも、武器を伴う軍務を義務付けられてはならない。
(5) 防衛出動事態の発生以前においては、第三項の義務は、第八〇条a条項第一項の基準に従う場合にのみ、これを課すことができる。第三項の勤務で特別な知識又は熟練を要するものを準備する際には、法律により又は法律の根拠に基づいて、専門教育訓練の機会に参加する義務を課すことができる。その限りにおいて、第一文はこれを適用しない。
(6) 防衛出動事態において、第三項第二文所定の分野における労働力需要が志願者のみによって充たされない場合には、この需要を確保するために、法律により又は法律の根拠に基づいて、ドイツ人の職業活動や職場を放棄する自由を制限することができる。防衛出動事態が発生する以前には、第五項第一文を準用する。』

第二次大戦後、四か国分割統治下におかれた旧ドイツ帝国では第一次大戦後に消滅していた旧構成国(ラント)がそれぞれ独自に憲法制定の動きを見せ始めていた。1948年、英米仏三カ国の占領地域を統合することとなり当該地域のラント毎の憲法を一つにまとめる憲法制定会議がボンで開催、ナチズムの反省から侵略戦争の禁止や建設的不信任決議、憲法価値の擁護などを盛り込んだ西ドイツ憲法が制定された。通称ボン基本法と呼ばれる。しかし、米ソ両陣営の対立が先鋭化して東ドイツが誕生し冷戦に突入すると、西ドイツは否応なしに再軍備が求められることになる。しかし、世界大戦の経験から志願兵が集まらず、窮余の策として徴兵制の導入が定められることになった。1956年、NATOへの加盟にともなう再軍備の実施とあわせて第一二a条兵役及び代役義務条項が追加され、その後も冷戦構造を背景にして様々な非常事態法制が国論を二分しつつも次々と憲法に盛り込まれた。

以下、木戸衛一論文「徴兵制「停止」に向かうドイツの政治社会 -軍事化の中の民主主義と人権」を参照して徴兵制停止にいたる大まかな流れを簡単にまとめ。以下『』は同論文からの引用。

徴兵制は法の前の平等に基づく防衛の公平の実現を建前としていたが、実際には憲法で定められた良心的兵役拒否者のほか、不適格者・諸条件で兵役免除とされた者も多数おり、兵役に就く者、代役に就く者、どちらにも就かない者がほぼ三分の一ずつとなっていた。同時に徴兵制が職業選択自由・強制労働の禁止など憲法の他の条文にも抵触するという批判も多数あった。一方で司法の場ではたびたび憲法上の徴兵制を元にした防衛の公平の妥当性が審理に上げられていたが連邦憲法裁判所は『ことごとく現状維持的な判断を下した』。ドイツ統一後もずるずると徴兵制が続けられていたものの、兵役・代役期間は十二か月から六か月へと短縮されるなど形骸化が進んでいた。

停止へと舵を切ることになるのは2010年のギリシア債務問題に始まる欧州経済危機で、ドイツも財政赤字の大幅な削減を余儀なくされた結果、800億ユーロに上る削減計画の一環として徴兵制の見直しが進められることになった。しかし、徴兵制の停止を推し進めることになるのは経済的な理由よりも安全保障戦略上の理由の方が大きい。

91年の湾岸戦争でドイツは約180億マルクの財政支援を行ったが、非軍事的協力に留まったことが国際的な非難を浴び、それによってドイツは軍事貢献へと方針転換を行った。以後ボスニア内戦、ソマリア派兵、アルバニアの在留ドイツ人救出のための部隊投入、ユーゴ空爆、アフガニスタン侵攻作戦への参加と、統一以後、積極的な軍事力の行使に乗り出している。この延長線上で、より大規模な海外派遣・展開能力をドイツ軍が有するために、軍の構造改革が必要となってきた。

『連邦軍の大幅な構造改革は,決して軍縮を志向したものではない。それは,「総合安全保障」(vernetzte Sicherheit)構想に導かれた「コンパクトで効率的で,同時に高性能の軍隊」(報告書3頁)に向け,その介入能力(要するに戦争遂行能力)を高めることを目的とする。連邦軍の非効率性の克服は,現在の倍の1万5000人を国外に派兵するための前提なのである。』

徴兵制はその非効率性の最たるものとして停止されることになった、というのがドイツ徴兵制停止へと至る背景のようだ。

この徴兵制廃止の背景となった軍の方針転換の経緯について、様々な問題が指摘されている。一つには憲法第二十六条で定められた侵略戦争の禁止への抵触で、特に1999年の国連決議を欠いたままでのユーゴ空爆、アフガニスタン派兵でなし崩し的に対タリバーンとの戦闘に入り、またイラク戦争でも米英軍に空爆目標への情報提供など兵站面だけでなく作戦行動面にも参加していたことが明らかになっており、2006年には平和団体が連邦検察庁に対しシュレーダー元首相らを侵略戦争準備で告発した。

第二に、軍の出動は防衛事態に限られ議会の同意を得る必要があるが(第一一五a条)、これら海外派兵では連邦政府が議会の承認を得ずに独断で実施する例が少なからずみられていた。『2008年5月7日,同裁判所(引用者注:連邦裁判所)が,イラク戦争の際連邦政府が連邦議会の同意を得ずに,NATO によるトルコ領空の監視に連邦軍を参加させたことに違憲判決を下し』たほか、『大枠の軍事戦略が,議会の同意なしに既成事実化される現実が放置され』ており、軍・連邦政府の独断専行が強まり文民統制のたがが外れつつあることに、民間団体が警鐘を鳴らしている。

第三に、国内外で軍が人権侵害の加害者の立場に立たされて告発されるようになってきた。ドイツも参加したユーゴ空爆に関連して『2001年6月,空爆の被害者およびその家族(ユーゴスラヴィア国民)27人が,国際人道法違反の攻撃による被害に対し,ドイツ政府に損害賠償と慰謝料を求める訴訟を起こし』、ボン地方裁判所、同高等裁判所は訴えを棄却している。

欧州の集団的安全保障体制を背景として『保守政党が「レトリックを弄してありとあらゆることがらを防衛事態に仕立て上げ」,国内での連邦軍出動を「防衛」と強弁する傾向を強め』、軍は積極的な海外派兵を実現するために組織改革を断行していく。どうやら、ドイツでは憲法の理念を空洞化させていくプロセスが進行しているようだ。

徴兵制の停止にともない、国内の福祉の大きな比重を占めていた代役義務に変わって『新しい連邦ボランティア役務(Bundesfreiwilligendienst)が導入され,3万5000人の男女を公益事業に獲得することが目指されている。この6~24カ月間の役務に年齢制限はなく,既存の「社会ボランティア年」(FSJ)や「エコロジー・ボランティア年」(FOJ)が活用される見込みである』という。しかし、兵役の代役という位置づけから単にボランティア役務になるのだとすると憲法上の根拠は全く無くなるから、ボランティアとしてでなく少しでも強制性を帯びる様なら早晩問題になりそうだ。

このドイツの徴兵制廃止と集団的安全保障を巡る文民統制の弛緩、憲法理念の空洞化の過程は、特に日本の安全保障方針を巡る議論で参考になると思う。

『ドイツでは,国家の本質が,国家機関の掌握に成功したある集団(階級・階層・政党)による権力行使だとする権力国家の伝統が否定的残像を残しているため,「権力」(Macht)の概念は周到に避けられている。』

木戸論文のこの部分は非常に重要で、ドイツの例を他山の石とするなら、安全保障問題や憲法上の基本権が重要なテーマとなっているだけに、「権力」の統制をどのように担保するか、その機構と相互牽制機能の確立の上にはじめて安全保障問題は議論されなければならないと思う。そう考えれば日本の現状は非常に危うい。紹介したような、国際的な批判から議論なしに軍事貢献に舵を切ってしまった91年のドイツのような危うさがある。安全保障を問うなら、まず「権力」を考える、というところからスタートしなければならないと思う。

参考書籍・リンク
・高橋和之編「新版 世界憲法集 (岩波文庫)
・木村靖二編「ドイツ史 (新版 世界各国史)
・木戸衛一論文「徴兵制「停止」に向かうドイツの政治社会 -軍事化の中の民主主義と人権
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