「技術」の可能性と限界

欧州軍事技術史の名著として名高いバート・S・ホール「火器の誕生とヨーロッパの戦争」から

『技術は人間に関することではいつも複雑な役割を演じる。私たちは技術を、物質世界の姿形をきめ、以前は不可能だった人間の行動を可能にする――言いかえると、能力と力を与える――ものとみることになれている。私たちは、技術はまた、何ができるかに限界をおくということになかなか思い至らない。技術はこれ以上行動を組織することも企てることもできないといういわば天井を表すのである。だから完全な技術史は、新しい可能性を確立した変化だけでなく、完成した技術的「システム」あるいは集合体が、それを使う人々に否応なく課した制限をも記述しなければならない。
「制限というとき私は、ある時代の技術はもっと後世の技術ほど速くもなく、強力でなく、融通性も少ないかもしれないというわかりきった(そしてたいていは取るに足りない)事実を指しているのではない。そうではなくて、ある特別な技術上の問題の解決が、その技術を使う人々にある行動パターンを押しつけるようになることを言っているのだ。』(バート・S・ホール「火器の誕生とヨーロッパの戦争」P18-19)

この一節は技術とは何かを過不足なく表していて非常に素晴らしい。「何ができるかに限界をおくということになかなか思い至らない」ことが、技術のもつリスクの側面をついつい軽視してしまいがちになることに繋がるのだろう。特にエネルギー関連の技術においてそれは顕著だ。エネルギー技術が与える「能力と力」の大きさの前についつい「技術はこれ以上行動を組織することも企てることもできないといういわば天井を表す」ことを見失う。また、エネルギー技術の飛躍的向上により生じた利便性と社会が、自ずと「人々にある行動パターンを押しつけるように」なっている。誤解の無いように書いておくと、これは別によくある技術を否定するような思想を唱えているのでは無く、技術が「何ができるかに限界をおくということになかなか思い至らない」ということを、自分自身もあまり考慮できていなかったことに対する自省の意味合いであり、同時に社会の仕組みとしても、能力の最大化の方にばかり目が生きがちで、保守的な側面が軽視されているなぁという再発見をしているという趣旨で書いている。

以前も『「エネルギーの科学史」小山 慶太 著』で紹介したが、十九世紀初頭、熱機関の理論を構築したニコラ・レオナール・サディ・カルノー(1796-1832)が著書「火の動力についての考察」で、火力機関の設計に際して堅牢性・安全性を重視すべきということを書いていたことに通じる。

『燃料のもつ動力を実際にすべて利用しつくすというようなことは望めない。これになんとか近づこうとする試みも、それが他の重要な点を見過ごさせることになれば、かえって有害である。燃料の経済は、火力機関がみたさねばならない条件の一つにすぎない。多くの場合それは二次的なもので、しばしば機関の確実さ・堅牢さ・寿命・占める場所が小さいこと・建造のための費用、等々を優先させねばならない。おのおのの場合に、便利さと実現されうる経済性とを正しく評価し、もっとも重要なものを単に付随的なものから区別し、もっとも容易な方法によって最良の結果が達成されるように、それらを調和させること、これらをなしうる資質こそ、同胞の仕事を指導し、総合して、人々をなにによらず有用な目的のために協力させるという任を負った人物に要求されるのである。』(小山慶太著「エネルギーの科学史」P63:『カルノー・熱機関の研究(みすず書房)』からの孫引き)

技術、特にエネルギー関連のような大きな力を持った技術については、革新的な研究開発、保守的な実運用の両輪が非常に重要で、特に後者のことを人は意外なほど忘れがちになる、ということを改めて理解しておく必要があるのだなと思う。

関連記事
「エネルギーの科学史」小山 慶太 著
「日本の核開発:1939‐1955―原爆から原子力へ」山崎 正勝 著
「科学者の不正行為―捏造・偽造・盗用」山崎 茂明 著
「パピルス―偉大なる発明、その製造から使用法まで」リチャード・パーキンソン、スティーヴン・クワーク 著
日本で初めて反射望遠鏡を作った鉄砲鍛冶「国友一貫斎」
技術史からみた西南戦争

火器の誕生とヨーロッパの戦争
バート・S. ホール
平凡社
売り上げランキング: 857,674
エネルギーの科学史 (河出ブックス)
小山 慶太
河出書房新社
売り上げランキング: 322,664
世界文明における技術の千年史―「生存の技術」との対話に向けて
アーノルド・パーシー
新評論
売り上げランキング: 292,813
スポンサーリンク
スポンサーリンク

フォローする

関連コンテンツ

スポンサーリンク
スポンサーリンク