「東シナ海文化圏 東の<地中海>の民俗世界」野村 伸一 著

中国沿海部、台湾、琉球を初めとした南西諸島、九州、対馬、朝鮮半島に取り囲まれた東シナ海一帯地域に共通する民俗文化の全体像を描いた本。

長江下流域から江南地域では古くから文明が栄え、各地に人の移動が盛んであったが、呉(紀元前585年頃?~紀元前473年)、越(紀元前600年頃?~紀元前334年)両国の滅亡によって、その移動が加速し、呉越文化として総称される様々な文化が東シナ海一帯に伝播、呉越文化を基層としつつ各地で独自の発展を遂げた。中国・朝鮮・琉球から九州さらには日本列島各地に至る周辺地域では呉越文化と共通する非常に良く似た民俗・風習・信仰・文化がみられる。

第一に稲作と収穫後の祭祀、第二に造船技術や船に関する習俗と漁撈習俗、第三に文身(入れ墨)の習俗と入れ墨の模様として使われることが多い花への信仰、第四に蛇崇拝、第五に蛇崇拝の発展・姿態変容としての龍信仰、第六に二度に渡る葬礼で特徴的な複葬の習慣、第七に霊魂の飛翔伝承、第八に盂蘭盆会や水陸会・十王信仰などに見られる無祀孤魂への懼れから来る地獄と救済の観念、第九に巫の祭祀、第十に龍宮や海の女神(観音信仰)といった海神伝承などである。いずれも中国にも朝鮮にも日本にも琉球にも類似のものが存在しており、呉越文化の伝播と考えられている。

水田稲作は紀元前5000年~前3000年頃から中国浙江省河姆渡(ハムドウ)遺跡を最古のものとして始まったと考えられ、龍山文化期(前4500~前2000)に山東半島に北上、気候変動などの要因で山東半島に適さなくなった後、日本や朝鮮に人の移動とともに伝播した、という。日本での水田稲作は紀元前800年前後(歴史博物館「弥生時代の開始年代について」では紀元前千年頃までの可能性が示唆されている)が、忠清南道末松菊里(ソングンニ)遺跡などからほぼ同時期に朝鮮半島でも水田稲作が始まったと考えられている。

稲作の作業サイクルにあわせた様々な祭祀が各地で展開、年初の祈年の祭祀、田の神、中元節、盂蘭盆会など七月半ばの祭祀、年末の祭祀などは日本でも中国でも朝鮮でも同様で、特に海神、蛇、龍を祀ることが多い。

呉越文化では蛇が尊ばれ、特に呉越の人々は蛇を祖先と考えていた。江蘇、浙江、福建など中国から朝鮮半島、さらに日本でも蛇と神話のかかわりは深い。蛇は船の守り神としても捉えられ、船霊としての蛇というモチーフが東シナ海沿岸地域一体に見られるという。同時に船は女性(女神)であり、ゆえに蛇であり海神である。この蛇崇拝が龍へと発展し龍王崇拝が見られるようになっていく。蛇から龍へ、龍から龍王へという変化の過程で、龍王は男性神となり、海の女神として女媧、媽祖、龍王婆さん(ヨワンハルミ)、観音、日本神話では宗像女神、トヨタマヒメなどが登場してくる。また、沖縄のウンジャミは両性の特徴を持つ。特に観音信仰は仏教の広がりもあって、海の女神として広く信仰されるようになった。

魂には戻るべき故郷がある、とするのも東シナ海文化圏に共通する他界観である。湖南省の古越系民族の間では、『魂は花の形で訪れ、散花して花の山に帰るとみられていた』(P107)。朝鮮半島では南朝鮮(ナムジヨソン)信仰と呼ばれる、南にある理想郷を目指す信仰があり、古代だけでなく近代に至るまで脈々と息づいて、時に住民を騒乱へと突き動かした。琉球では海の彼方のニライカナイ信仰があり、中国、朝鮮、日本で広まったのが観音の住むという補陀落への憧憬であった。漂着船はやがて他界へと去っていく、という観念は、その逆に漂着民を歓待することにも通じ、マレビト信仰が各地で見られた。

また、霊魂は姿態変容を繰り返すという観念もまた東シナ海文化圏に共有された観念で、『仏教の輪廻転生以前のものである』(P198)という。江南では人、特に女性が蝶になるといい、琉球では霊魂は鳥になる。先日の記事『「アジアのなかの琉球王国」高良 倉吉 著』で琉球の交易船が猛禽類を模していたという話は紹介した。また花は生命の根源で、済州島では「生命の花」と災いをもたらす「悪心花」を模した花を使った子授け・成長祈願の祭儀があり、台湾では花は新生児の象徴で花を使った生育儀礼があるという。前述の古越系民族と同様の観念が日本も含めて広がっている。

少し信仰面について多く紹介したが、本書から見えてくるのは日本も含めた東アジア世界に通底する一つの文化圏の諸相で、海を通じて有機的に繋がっていることが実感として非常によく伝わってくる内容となっている。

東シナ海文化圏は十六世紀を画期としている。十六、十七世紀以降、倭寇・海の民の衰退、徳川幕府の鎖国、琉球の衰退、明清朝の海禁政策、李氏朝鮮における儒教国家の建設と海民忌避、ポルトガル・オランダの進出などによって東シナ海文化圏は分断されていくことになる。

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