火星観測・探査の簡単な歴史

別のテーマで書いていた記事の冒頭部分が長くなったので切り出して別記事化。

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神話と火星

赤く存在感を示す火星は古代から神に模されてきました。バビロニア(メソポタミア)神話のネルガル、ギリシア神話のアレス、ローマ神話のマルスなどで、皆戦争の神であったところに特徴があります。特にローマ人はマルスをロムルスの父と考え強く崇拝しました。古代にはブリニウスが博物誌に火星を初めとする星々について描いています。日本でも火星は熒惑(けいこく)と呼ばれ「日本書紀」「続日本紀」などに登場、また藤原定家の「明月記」にも月食の描写で熒惑の文字がありますが、これは火星では無く土星のことだと言われています。

火星観測のはじまり

本格的な火星観測は十六世紀の天文学者ティコ・ブラーエ(1546~1601)に始まります。ブラーエは天動説を信じてはいましたが、デンマーク王に送られた「ウラニボルク城天文台」で二十年に渡る詳細な火星観測データを残しました。このブラーエの研究を受け継いだヨハネス・ケプラー(1571~1630)によって、1619年、ブラーエの観測データを元に惑星軌道の楕円運動理論を初めとするケプラーの三法則を生み出し地動説の優位が確立しました。1663年、ジェイムズ・グレゴリーによって反射望遠鏡が考案され、ニュートンらの改良を経て天体観測は大きく進歩していきます。

誤訳と火星の知的生命体

1877年、火星と地球との距離が最短で5600万キロメートルと最接近し、これを契機に一気に火星観測が進みました。イタリアの天文学者ジョヴァンニ・ヴィルジニオ・スキアパレッリ(1835~1910)は火星の表面に何本もの線が走っているのを発見、この線を溝や水路を意味するcanali(カナリ)と呼びましたが、後にこれが英訳された際に人工的な運河を意味するcanal(キャナル)と訳されたため、火星に知的生命体がいるといった大きな誤解の原因になりました。その後も詳細な観測を行い、ギリシア語やギリシア神話を元にした火星の地形への命名を行った火星地図を作製しました。また同年、米国の天文学者アサフ・ホール(1829~1907)によって火星の二つの衛星フォボスとダイモスが発見されるなど、1877年は火星観測史上の画期となっています。ちなみに日本では西南戦争の真っ最中で急接近した火星を西郷隆盛になぞらえ西郷星と呼びました。

ローウェルの影響

スキアパレッリの影響を受けた米国の天文学者パーシヴァル・ローウェル(1855~1916)は私財を投じてローウェル天文台を建設、火星人の実在を信じて火星の観測・研究に没頭しましたが、その研究は恣意的で憶測に基づいた面が多く、現在では否定的、というか酷評の嵐ではあるものの、火星人の実在を疑わず、それを広く喧伝したことで、火星への興味を喚起することとなり、天文学のすそ野を大きく広げることになりました。また、H・G・ウェルズ(「宇宙戦争(1898年)」)、バロウズ(「火星のプリンセス(1911年)」)、ブラッドベリ(「火星年代記(1950年)」)らにインスピレーションを与え、アーサー・C・クラーク(火星研究そのものについてはローウェルを酷評していましたが)曰く『数世代のSF作家たちが嬉々として発展させた神話の基礎を、ほとんど独力で築き上げた』(中村浩美著「火星|雑学ノート」P134)。二十世紀を代表する天文学者カール・セーガン(1934~1996)もローウェルの研究を最も激しく批判した代表的な一人ですが、一方でこう評価していたそうです。

『彼のあとにつづくすべての子どもに夢を与えた。そして、その中からやがて現代の天文学者が生まれたのだ』(ジョン・ノーブル・ウィルフォード著「火星に魅せられた人びと」P50)

またローウェルは日本研究家としても有名で、明治時代の日本を訪れて日本文化の研究書(「極東の魂」「NOTO―能登・人に知られぬ日本の辺境」)を残し、小泉八雲にも強い影響を与えています。

火星探査のはじまり

第二次世界大戦後、科学技術の進歩はついに火星への到達を可能としました。子供の頃ローウェルの研究に胸をときめかせて科学者の道を選んだロバート・ゴダード(1882~1945)らの研究を先駆として、大戦時ドイツのロケット研究の第一人者として長距離ロケットA4を完成させたウェルナー・フォン・ブラウン(1912~1977)は戦後米国に渡って宇宙ロケットの研究に専念、各国で宇宙ロケットの研究が進みます。1957年、ソ連は人類初の人工衛星「スプートニク」の打ち上げに成功、続く61年ガガーリンの有人宇宙飛行に成功、その勢いで1960年から73年まで火星探査機マルス1~7号を打ち上げますが、71年のマルス3号が火星表面の着陸に成功したものの通信途絶、73年のマルス5号が70枚の写真撮影に成功、マルス6号が74年にカプセル型着陸機の軟着陸に成功するものの一秒後に通信途絶した以外、大きな成果を残せず失敗に終わります。

火星探査の進展

これに対抗して米国はマリナー計画を実施、1964年から71年にかけてマリナー1~9号を打ち上げ、1971年、マリナー9号がついに世界で初めて火星周回軌道に乗り、『火星表面の70%をカバーする7329枚の写真を撮影』(松井孝典「探査機でここまでわかった太陽系」P65)することに成功、1975年、バイキング計画で火星の着陸に成功し、さらに有機物検出実験、代謝活性実権、光合成能実験を実施して大気構造や地表構造についても初の科学的データを収集することに成功しました。92年の火星表面探査を目的としたマーズ・オブザーバー計画は失敗したものの、1996年に打ち上げられた火星探査機マーズ・グローバル・サーベイヤーは2006年まで9年間に渡って火星写真の撮影からほぼ火星全域の地形データの測定、さらに地形の季節変化の測定まで成し遂げ、1996~97年のマーズ・パスファインダー、2001~運用中のマーズ・オデッセイ、2003年にヨーロッパ宇宙機関が打ち上げたマーズ・エクスプレスなどと共に、火星探査は一気に進みました。また、日本の宇宙航空開発機構も1998年、火星探査に乗り出しましたが、打ち上げられた火星探査機「のぞみ」は2002年に故障し、2003年、失敗に終わりました。

火星はどんな星なのか?

火星の直径は6,787kmで地球(12,756km)の約半分、重力は地球の約三分の一、大気圧は地球の百分の一、大気の95%が二酸化炭素、平均気温は地球の15℃に対し、-65℃と非常に寒く、赤道付近でも20℃程度でしかありません。少なくとも知的生命体はいないようですが、生命の存在自体はまだいるかいないか不明で調査が引き続き行われています。

また、太古には大量の水があり、40億年前までは温暖湿潤気候であったことがわかっているものの、その後急速に乾燥した気候に変化したと考えられています。しかし、その変化は何故起きたのか、その水はどこへ行ったのかは不明なままです。極冠には水の氷が存在しており、その水の氷の上に二酸化炭素の氷(ドライアイス)が乗っている状態です。未だ確認されない火星の生命(あるいはその痕跡)がその極冠の氷の中や、あるかもしれない地底湖に眠っている可能性もありますが、謎のままです。

また火星には磁場が無いこと、一方で古い岩石の中には強い磁気異常を持つものがあることも明らかで、火星誕生時のダイナモ作用による磁場の発生の痕跡が残ったとする説があります。それに関連して、かつては火星にはプレートテクトニクス運動が無いとされていましたが、火星の南半球で地磁気の異常が見つかり、それが地球の海底に多く見られるものであったことから、プレートテクトニクス運動があった可能性が指摘されています。

参考書籍・サイト
・ジョン・ノーブル・ウィルフォード著「火星に魅せられた人びと」(1992年)
・中村 浩美 著「火星 雑学ノート―人類は赤い星をめざす 火星ミッション最前線」(1997年)
・松井 孝典 著「探査機でここまでわかった太陽系 ―惑星探査機とその成果― (知りたい!サイエンス)」(2011年)
パーシヴァル・ローウェル – Wikipedia
明治期に能登旅行記を著した天文学者パーシヴァル・ローエル

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