初代群馬県令楫取素彦(2015年大河ドラマ「花燃ゆ」主人公の夫)について

幕末~明治維新の産業史を少しずつ調べていく中で、富岡製糸場関連の書籍を読んでいて、来年2015年大河ドラマ「花燃ゆ」の主人公の二度目の夫、初代群馬県令楫取素彦についてもその事跡がわかってきたので簡単にまとめ。

明治政府発足直後の上州(群馬県)は二つの面で非常に重要な地域だった。一つには官軍には属していたものの元々が徳川家と関係が深い譜代大名の集合体であり、また幕末には無政府状態となって打ちこわしなどの住民反乱(上州世直し一揆)が頻発、これに対抗して領主・役人たちは弾圧政策で臨み、慶応四年(1868)年四月から十一月にかけて次々と農民たちが逮捕され処刑が相次ぎ一時騒乱と恐怖政治下にあった余波で不安定な情勢が続くなど東京に近い関東の中でも特に統治が難しい地域であったこと。もう一つが、当時最大の輸出品であった生糸の最大の生産・供給地であったことである。この重要地域の統治を任されたのが楫取素彦で、政府からの信頼の厚さが窺える。

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幕末の蚕糸貿易と富岡製糸場

安政六年(1859)、横浜他二港が開港すると、蚕種と生糸の蚕糸類が最大の輸出品となった。輸出総額に占める蚕糸類の割合は1860年65.6%、61年68.3%、62年86%、63年83.6%で、幕末の輸出はほぼ蚕糸類に頼っていた。その蚕糸類の最大の供給元が上州(群馬)で産地別では文久元年(1861)で20.6%のシェアを占め、明治五年(1872)には48.7%と増加の一途を辿る。欧州が日本産の蚕糸に頼っていた背景として一つには微粒子病の蔓延により欧州産蚕糸が壊滅的な打撃を受けていたこと、もう一つには生糸の輸出国であった清の国内情勢悪化がある。爆発的な需要拡大に品不足に陥り、やがて粗製乱造や偽造など対外向けに悪徳商法・詐欺が横行して国際問題となっていた。

その蚕糸の安定供給のため明治政府は群馬県に官営工場を作り生糸製造の模範とすることとし、その総責任者に大蔵官僚渋沢栄一が就いた。渋沢は自身の少年時代の師で蚕糸にも詳しい尾高惇忠を招いて工場長として立ち上げの指揮を採らせ、明治五年(1872)、「富岡製糸場」が開設、殖産興業を牽引することが期待された。熊谷県権令(在任:1874~76)・初代群馬県令(在任:1876~84)として旧幕府勢力が強い群馬県を安定させるとともに、行政の側から様々なインフラを整備して富岡製糸場を中心とした群馬県の蚕糸業を軌道に乗せることが楫取に課せられたミッションである。

※熊谷県:現在の埼玉県西部・北部・秩父地域と群馬県全域からなる行政区分。県都は熊谷。1876年に分割されて熊谷県下の現埼玉県該当地域は旧埼玉県と合併、現行の埼玉県と群馬県が誕生する。

群馬県令楫取素彦の事跡

前橋への県庁移転

県庁所在地をどこにするかでは明治政府の方針が二転三転している。廃藩置県での第一次群馬県設置直後、高崎に県庁が置かれたが、高崎城は兵部省との兼ね合いで使用できず、高崎では満足な施設が整備できないため前橋城に県庁が置かれるも、すぐに熊谷県が誕生、熊谷が県庁所在地となり、当初前橋に支庁が置かれるも、すぐに熊谷との連絡に便利な高崎に支庁が変更された。熊谷県が分離されて第二次群馬県が成立後、高崎の安国寺に県庁が置かれたが、楫取は、高崎では行政施設が分散して効率的ではないこと、前橋が生糸生産の中心地であり人材が豊富であることなどの点から前橋へ県庁移転を決意、内務省とも図って明治九年(1876)九月、前橋に県庁を移転した。移転に際して、職員住宅、師範学校、医学校建設の寄付を募り設立させている。

行政機構の近代化

明治十年(1877)、年中行事概略を示して各村戸長の業務を整理し職務内容を規定、熊谷県時代から区長、戸長からなる大区会、小区会を開催して事務連絡や議題の討議・決定を行い、地方行政機構の整備を行った。この会議を通じて戸長らは政治的に成長し、地方自治の土壌が育っていった。

群馬県の教育振興

明治五年(1872)の学制公布によって学校教育制度が始まり、群馬県にも明治七年までに中学校三校、小学校三五〇校が設立、特に楫取は教育振興にも積極的で就学児童数は楫取が群馬県令となった明治九年で38,382人(学齢人員76,764人)と就学比率は50%(全国平均38.3%)、これが明治十二年には69.0%に向上して全国一位となった。前橋県庁移転時に師範学校を設立させたことからもわかるように、教師育成と高等教育にも力を入れ、明治十二年には群馬県師範学校に寄宿舎と付属小学校を増設、また生糸生産振興の観点から女子教育の徹底のため、明治十五年県立女学校を設置(明治十九年廃校)、また、女工確保の目的とともに、男女平等、女性の自立のため日本初の廃娼を断行した。

銀行設立、蚕糸業への資金投入

渋沢栄一の指導、協力によって明治十年(1877)、第三十九国立銀行、第四十国立銀行が設立されるが、それぞれ前橋、館山士族の救済措置(士族授産)と、銀行設立により蚕糸業へ資金を円滑に流れさせる目的であった。第三十九国立銀行は後に蚕糸業向け金融、第四十国立銀行は絹織物業向け金融でそれぞれ中心的な役割を担い、県下の産業育成に大きな影響を与えた。

鉄道延伸による物流の効率化

明治十三年(1880)、大宮―高崎間の鉄道敷設計画が決定されるが、前橋からの生糸運搬に支障があるとして楫取は鉄道局長井上勝と交渉し、生糸商人下村善太郎(後の初代前橋市長)らが有志を勧誘して株式出資を行う旨取り付け、前橋までの延伸を決定させた。楫取退任後の明治十七年に高崎線が前橋まで全線開通、その後も続々と鉄道が敷設されて生糸、絹織物の輸送ルートが確立されていった。

輸出網の開拓支援

人材育成にも積極的だった楫取は、明治九年、製糸業者星野長太郎の弟、若干二〇歳の新井領一郎が生糸の販売網開拓のためにアメリカに赴く際の渡米資金六百円を出資、新井は現地でニューヨークの生糸商に営業をかけて回り、明治一〇年には取引高二・二万ドルに達し、明治十一年には同行した貿易商佐藤百太郎とともに現地法人サトウ=アライ=カンパニーを設立、明治十四年同社を解散したあと、帰国して横浜で星野らが設立した生糸貿易会社同伸会社社長に就任して群馬の生糸貿易に多大な貢献をした。後、再び渡米してニューヨークに設立された横浜生糸合名会社のニューヨーク代表となり、生糸貿易に名を残すことになる。新井の孫娘ハルが後の駐米大使ライシャワー夫人である。

また、蚕種製造の中心であった佐位郡島村(伊勢崎市境島村町)で田島武平、田島弥平らを中心に村内の蚕種業者からなる島村勧業会社を支援、彼らは明治十二年から明治十七年にかけて三度に渡ってイタリアに渡り、三井物産と提携して現地で蚕種の販売を行い、直輸出を試み、一定の成果を残した。

富岡製糸場の存続に貢献

西南戦争後の財政難から政府は富岡製糸場の民間払下げの計画を立てたが、規模が大きすぎて買い手がつかず、明治十四年(1881)、以後五年間、当時の工場長速水堅曹に貸与のかたちを採って経営効率化を行ったうえで改めて民間払下げか、買い手がつかなければ閉鎖とした。これに対して楫取が反対し、西郷従道農商務卿と交渉、閉場を免れることとなった。

自由民権運動と楫取県政

産業、経済、行政、教育など多様な面で成果を残した楫取だが、一方で群馬県職員人事の面では群馬県出身士族を冷遇し、枢要なメンバーは群馬県以外の士族出身者からなる官吏で占められていた。銀行設立や創業支援、警察官採用など士族授産を行ってはいたものの、生活の困窮に不満を持つ士族も少なくなく、その多くは後に自由民権運動へと参加していく。また、楫取が進めた産業振興によって誕生した様々な養蚕事業の結社が自由民権運動と結びついて、群馬県は自由民権運動が活発な地域の一つとなっていく。退任とほぼ同時期の明治十七年五月には自由民権運動激化事件の一つ自由党急進派が貧困農民を煽動して武装蜂起を図り鎮圧される群馬事件が起きている。松方デフレの煽りで県下の貧農が高利貸しからの借り入れを重ねるなど生活に困窮、貧富の差が拡大し、まぁ、これは地方政治レベルではなく国政レベルの問題の影響の方が大なので、その責を帰すのは筋違いではあるが、負の遺産も残すことになった。

大河ドラマ「花燃ゆ」の予想

と、以上のようなことをまとめつつ、来年の大河ドラマは、おそらくは序盤で吉田松陰まわりを、中盤で明治維新をやって、後半から二人目の夫楫取が赴任した群馬県の話を、世界文化遺産にも認定されて今話題の富岡製糸場や、おそらく近代史上人気在る人物の一人渋沢栄一なんかも絡めつつ描くのではないかと思ったりします。渋沢出せば注目度高そうだし、たぶん大河ドラマ初登場では。

問題は、主人公の文(美和子)が楫取と再婚するのは、楫取が県令を辞める前年の明治十六年で、その二、三年前から群馬に移住してきてはいたらしいですが、上記の楫取の仕事に全く関係ないというところでしょうか。維新後十数年、三十代後半までずっと毛利家に仕えていたようですが、東京にはおそらく出てきているんでしょうが、淡々と毛利家に仕える女中の日常を描くわけにもいかないでしょうし、再婚したと思ったら翌年から東京で悠々自適の貴族院議員・男爵夫人の日常になるわけで、まぁ、無名で史料が残っていない人物ということで、このさい史実は無視して維新後さくっと群馬に移住させた方が色々描きやすそうではあります。当時、長州からも多くの子女が新設された富岡製糸場の女工として働きにきていましたが、それに混ぜてしまうとか。

前半は定番の維新ものになりそうなので、後半の明治維新後にどういう描き方をするかに期待したいところです。あれ、でもこのパターン、去年観た気もするな・・・。

追記
渋沢栄一の大河ドラマへの登場については1980年の「獅子の時代」に登場していた旨ご教示いただきました。(獅子の時代 – Wikipedia)。

参考書籍・リンク
・西垣 晴次 他編「群馬県の歴史 (県史)
・志村 和次郎 著「絹の国を創った人々―日本近代化の原点・富岡製糸場
・佐滝 剛弘 著「日本のシルクロード―富岡製糸場と絹産業遺産群 (中公新書ラクレ)
・今井 幹夫 著「富岡製糸場と絹産業遺産群 (ベスト新書)
・石井 寛治 著「日本の産業革命――日清・日露戦争から考える (講談社学術文庫)
楫取素彦 – Wikipedia
楫取美和子 – Wikipedia
NHK大河ドラマ「花燃ゆ」

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