中世英国(イングランド)の貧困弾圧・強制労働法令「労働者条例」について

朴 光駿 著「社会福祉の思想と歴史―魔女裁判から福祉国家の選択まで (MINERVA福祉ライブラリー)」(P37-44)よりまとめ

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労働者条例(The Statute of Labors)

1348年の史上最大規模の黒死病(ペスト)の流行によって、欧州諸国では多数の犠牲者が出たが、イングランドでも400万人から200~250万人へと大幅な人口の減少を余儀なくされた。労働者の不足は賃金の上昇をもたらすが、これに対し地主層は賃金の引き下げを要求、これを踏まえて百年戦争中で国内の基盤を安定させたいイングランド国王エドワード3世は強制労働と賃金上限を設定した「労働者条例(The Statute of Labors)」を定めた。

・自営業者、自作農、すでに雇用されている者を除く六十歳以下の身体健常者はその地域の慣習的賃金の水準で労働力を必要とする者に強制的に雇用されること
・労働者の契約期間内の正当な理由または雇用主の許可なしの退職の禁止
・雇用主に対しては慣習に基づく賃金より多額の賃金を支払うことを禁止し、それを超えて賃金を支払った雇用主には支給額あるいは支給を約束した額の二倍の罰金が科せられる。
・労働可能な貧民に対する私的慈善の禁止による就労促進

1361年、さらにこの法令を強化するために制定された1361年法で賃金基準の細分化と、無断離脱・退職者に対して額に不信(falsity)を表すFの烙印を押すこと、また離脱者を出した雇用主に対し罰金を科すことなどが定められた。

このような一連の強制労働法令の制定を英国の農奴制の成立と捉える見方もある。これらの措置にもかかわらず、労働を拒否して浮浪者・犯罪者となる人々は増加の一途を辿り、さらに法令が強化されて、苛政が敷かれ、1380年には百年戦争の戦費調達を目的とした農民たちに対する人頭税が定められ、民衆の不満は極限に達して、1381年、ワット・タイラーらに率いられた農民たちが蜂起、反乱軍はロンドンを占拠し、国王リチャード2世に強制労働法令の撤廃等を求めたが、会見の場でワット・タイラーは暗殺され、反乱は鎮圧された。

この反乱終結を受けて1388年には労働者の移動の制限も追加されて浮浪者の弾圧と強制労働とが厳しく定められたが、これまで同様に必ずしも実効性があるものではなく、その後も苛酷な労働からの離脱と浮浪者の増加は社会問題として残り続ける。

ヘンリ8世の1531年法

1531年、羊毛生産のための土地と労働力確保を目的とした第一次囲い込み運動を背景に、ヘンリ8世の1531年法では労働能力の有無によって区別がされ、後者は乞食が許可されたが、前者が乞食を行った場合には鞭打ち刑の上で生まれ故郷または直近三年間に居住していた場所に強制送還がなされることが定められた。また、1547年法では

・三日以上の失業者は浮浪者(vagabond)とみなされて胸にVの烙印が押されて告発者の奴隷として二年間働かせること
・途中逃亡した者は、初犯は終身奴隷、再犯は死刑とすること
・浮浪者の子供に仕事を教える意思を持った者に対してはその子供を徒弟として、男子24歳、女子20歳まで働かせることができること
などが定められたが、やはり効果が無く三年で廃止された。

貧困対策としての労働者の抑圧

1531年法および1547年法は労働能力のある者に対する抑圧の強化の面の一方、労働能力の無い者に対して乞食を認め居住と食料の提供を保障したことで、抑圧一方の政策から抑圧と保護の両面策への転換という面も持ち、後にエリザベス救貧法(1601)へと繋がる国家による貧困政策の端緒と位置づけられている。ただし、これらはあくまで「貧困問題に対する行政的対応の起源」(P39)であって、主な目的は厳罰による強制労働と賃金の抑制という労働者の抑圧にあった。

『まず国家の関心は「労働能力のある貧民」のみに向けられていて、その対応もその人々に集中していたことである。そして、労働能力のある貧民に対する関心は、貧困の救済や貧民の生活条件の改善にではなく、浮浪による社会秩序への脅威の防止と労働力の確保に向けられていたのである。浮浪は犯罪と同一のものとみなされ、したがって、貧困に対する認識も同様であった。

(中略)

労働能力のない貧民に対しては、国家は二つの反応を示した。まず、国家はその貧困を改善する努力を示さず、乞食をしながら生活することについては一貫して傍観者的姿勢であった。もうひとつの反応は、より積極的な反応として、そうした人々を共同体から直接排除するか、あるいはそれを助長することであった。』(P43-44)

後者の例として、十六~十七世紀に最盛期を迎える魔女狩り(魔女裁判)がある。魔女という言葉の響きから女性のイメージがあるかと思うが、実のところ魔女とされて処罰された男性も非常に多いことは、これまでの研究があきらかにしているところだ。魔女裁判についてはまた別の機会に書きたい、と思いつつ一年以上経っているのだが、要するに浮浪者、労働不能者などマージナルな存在の社会的弱者が英国に限らず(特にブリテン島ではスコットランドで苛烈だったが)欧州各地で魔女として殺されており、社会福祉・貧困に対する価値の転換が魔女裁判沈静化の大きな要因の一つとして考えられている。

ということで、少し社会福祉の歴史についてはまた、ゆっくりとまとめていきたい。

他、参考文献
・「イギリス史 (世界各国史)
・「民衆の大英帝国―近世イギリス社会とアメリカ移民 (岩波現代文庫)
・「社会福祉のあゆみ (有斐閣アルマ)
・「魔女狩り (ヨーロッパ史入門)

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