資本論に次ぐ影響を与えたという十九世紀末のユートピア小説「かえりみれば――二〇〇〇年から一八八七年」エドワード・ベラミー 著

1888年に米国で出版され、「アンクル・トムの小屋」と並ぶ大ベストセラーとなった小説にエドワード・ベラミー(1850~1898)の「かえりみれば――二〇〇〇年から一八八七年」(原題:”Looking backward 2000-1887”)という作品がある。1887年から2000年のボストンへとタイムスリップした上流階級の男性が体験する113年後の世界を描いたユートピア小説で、知識人から大衆まで大ブームとなり、二十世紀に入っても「最も影響が深い二五冊の書物」としてマルクスの「資本論」に次ぎ第二位に選ばれたという。

エドワード・ベラミー (アメリカ古典文庫  7)
研究社 (1975-05-10)
売り上げランキング: 888,683

本間長世による本書の解説「ベラミー『かえりみれば』の現代性」によれば、エーリッヒ・フロムは本書を評して『ベラミーのユートピアは、その根本的要素のほとんどすべてにおいて社会主義のユートピアであり、多くの点においてマルクス主義的ユートピアであることは、ほとんど疑問の余地がないと述べている』(P19)という。一方、ベラミー自身は社会主義を嫌い、ナショナリストを自認していた。本作で描かれるユートピアはナショナリズムの精華として国家と産業とが一体化した社会主義的理想都市として現出する。

1887年のボストン、上流階級に生まれた若き紳士ジュリアン・ウェストは日夜繰り返される工事と騒音で不眠症に悩まされていた。そこでかかりつけの医師(動物磁気学の研究者)を呼んで催眠術をかけてもらい、黒人の召使以外その存在をしらない地下室で静かに眠りに落ちる。その夜、不幸にも彼の邸宅は火災に見舞われて召使は焼死、彼も行方不明として扱われたが、実は地下室で眠りつづけ、そして目が覚めたとき、実に113年の時が経っていた。

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十九世紀メスメリズムの流行

ちょっと脱線して、本書の本筋とは関係が無いが、動物磁気学について。一応当時の世相としてここで動物磁気学を出しているのはある程度物語にタイムスリップの説得力を持たせる効果があるからだ。動物磁気学については、メスメリズムと呼ぶ方が良く知られている。

1780年、イタリアの物理学者ガルヴァーニがカエルを使った電流実験で動物の体内に電気の発生源があるという説を唱え大いに論争になった。後にヴォルタらに否定されてこれが電気エネルギー研究の端緒となるが、同時に様々な創作とスピリチュアリズムの興隆への契機ともなった。例えばあまりに有名なホラーの傑作シェリーの「フランケンシュタイン」はこの実験にインスピレーションを得て書かれている。この、動物にエネルギーの発生源があるという説から発展してオーストリアの医師メスマーは引力や重力と同様の『宇宙に遍在する根源的原理として磁気を帯びた流体』(吉村正和「心霊の文化史」P60)すなわち「動物磁気」の存在を想定、彼の弟子たちは夢遊病の原因として動物磁気を見出し、やがて自己暗示・催眠術の技術へと発展、十九世紀半ばから二十世紀初頭にかけて欧米で盛んになった心霊主義的運動の主流として広く受け入れられていく。概ね二十世紀に入る頃までにメスメリズムはオカルトとして退けられていくことになるが、本書が書かれた当時、かなり胡散臭がられていたものの、一定の説得力を持つ一つの学問領域であった。動物磁気学=催眠術ならば怪しさもあって一世紀以上眠りつづけるというのもあるかも、と読者に印象付けることは充分に出来るものだったといえる。

※ガルヴァーニ電流実験の様々な影響については→「「エネルギーの科学史」小山 慶太 著

ベラミーの予想したユートピア

ウェストは西暦2000年のボストン市民リート博士一家に発見されて彼らとの会話と交流を通してユートピア化した二十世紀末の未来社会を知り、113年前、十九世紀末の現代社会の欠点を思い知らされる。本書において、エドワード・ベラミーは1887年からみた西暦2000年をどのような社会として考えていただろうか。

一つには国家と産業の一体化である。資本集中は小企業・個人事業主を淘汰し巨大な企業連合体が形成、その過程で多くの反対・抵抗運動がおきたものの、経済原理の前には無力で二十世紀初頭までに米国内の全資本が統合され、これを、国民を代表する国家が統率する「グレート・トラスト」が登場することになった。競争状態にあることでの浪費と非効率が全て消え去り、一元化されたことでの効率化により、生産性は飛躍的に向上し全労働者に十分な賃金を与え、有り余る生産物を供給することが可能となった。

国家が唯一の雇用主となることによって、市民は市民であるがゆえに被雇用者となる。そこで採用されたのが徴兵制の代用としての労働の義務である。教育課程が終わる21歳から45歳で引退するまで産業労働隊に入隊、それぞれの希望に応じた雇用が保障され、軍隊序列的な昇進過程を経ていくが、報酬は皆平等に与えられることになる。報酬は労働の成果によって優劣が付けられるのではなく、努力の過程によって認められ全労働同一賃金として与えられる。重要なのは成果を出すことでは無く自身の与えられた労働に全力で臨むことだ。また、障碍者や病者もそれぞれ自身が可能な範囲での軽作業に従事することで健常者と同等の賃金が与えられ、女性と男性も平等の待遇である。いわば完全雇用完全福祉状態であり、ゆえに労働問題は全て解決された。

※後世、兵役の義務の代用としての勤労の義務という導入経緯を持つのが日本国憲法である→「日本国憲法に勤労の義務が入った経緯

犯罪は、その根本原因となっていた貨幣の消滅と私有財産の禁止によって個人間の不平等が解消されて激減、暴力犯罪はその原因が遺伝的資質に求められ、治療によってあらかじめ防止される。『優生学とは、自然選択が機能しなくなりつつあった文明(=「倫理」)化した社会のなかで、白然選択の果たしていた機能を人為的に果たすことを期待されていた科学にほかならなかった。』(丹治陽子論文(2005)「ダーウィニズム以後のユートピアの不可能性について : ベラミーの『かえりみれば』とギルマンの『女の国』」)。闘争状態の終焉の先にある平和な理想社会を形成する科学としての優生学という思想が背景としてあり、これは例えばウェルズの「タイムマシン」なども同様だ。さらに司法は刑事事件も民事事件も激減したことによって必要最低限度まで単純化し、弁護士制度も消滅、かわりに確実な証拠に基づいて異なる見地に立つ三人の裁判官の合議によって判決が下される。『正義以外にいまの判事たちを動かしうる動機は考えられませんから』(P165)

※司法の一元化が現実化したときどうなったかの例として→「「ヒトラーを支持したドイツ国民」ロバート・ジェラテリー 著

彼ら西暦2000年人のモチベーションになっているのが愛国心と同胞愛だ。

『もはやいかなる種類の産業も私業ではなく国の仕事となっていますから、愛国心すなわち人類のためを思う熱情が、あなたの時代に兵士を奮起させたように、労働者を奮起させるのです。産業隊は、その完璧な組織というのみでなく、その構成員を鼓舞する熱情という点でも、一つの軍隊なのです。』(P89-90)

『わたしたちの産業体制は、各人から同じ単位の努力、すなわち各人のなしうる最善、を要求するという原理にもとづいてはいますが、労働者を刺激してその最善をつくさせるための手段がこの機構のなかでひじょうに重要な位置を占めざるをえない、というのがおわかりになるでしょう。わたしたちのあいだでは、国の仕事に精励することが、人びとの評判と社会的栄誉と公的権力を得る唯一の確実な道なのです。社会に対する奉仕の価値がその人の社会における地位を決定します。』(P90)

この体制を成立させているのが、全階級の利害を調整し代表するために誕生した唯一の政党「国民党」で労働党など各階級を代表する政党にかわって、『自分たちの幸福にただ遠くから表面的に影響をおよぼす特定の政治的な機能だけのためにできた人間の連合体としての国ではなく、一つの家族、生きるために不可欠な結合体、共通の生命として、言わば人民が葉になって葉脈から養分をもらいながら逆に幹や枝を養ってもいるような、天にも達する巨大な一本の木として、未開の雄大さと完全さをもつ国というものの理念を実現することを目的としていた』(P200)。

このように、ナショナリズムの精華としての愛国心と同胞愛に基づく個人主義に代わる共同体至上主義的な平等なユートピアを描いて見せた。これは十九世紀当時の社会に対する批判として描かれたものだが、それゆえに、反響も絶大で、各地に本書に影響された人びとによる「ナショナリスト・クラブ」が次々と誕生、ベラミーは社会運動家に転じて各地で国有化と産業協同のための啓蒙活動を行い、本人はナショナリズムの高揚を目指したのだが、むしろ社会主義運動に多大な影響を与えることになった。また、十九世紀末に登場した米国人民党を支援して初期米国ポピュリズムの勃興にも一役買っている。また、ナショナリズムとキリスト教思想の一致を唱え同胞愛の実現した社会をキリスト教千年王国と同定してもいる。彼の構想は二十世紀に実現することになるわけだが、ユートピアがディストピアと表裏一体の存在であることを、全世界は思い知ることになる。「資本論」に次ぐ影響力のある書籍に選ばれた理由はお分かりいただけるだろう。

※人民党の指導者ジェニングスと米国のキリスト教原理主義については→「進化論教育は罪か?スコープス裁判と原理主義が変えたアメリカ

ベラミーの未来予測「クレジットカード、Eコマース、有線放送、ブログなど」

さて、ベラミーの本書は、実は未来予測SFとして非常に秀逸である。

現在、大量に流通し、我々の生活に欠かせないクレジットカード。このクレジットカード(credit card)という言葉の初登場が本書である。

貨幣が消滅し、国の年間生産のうち各市民への分配分が登録されたクレジットカードが一人一人に発行され、それで必要な商品をそれぞれ購入することができる。概ね使い切れないほどの限度額だが、浪費が過ぎるようなら、月単位あるいは週単位で支給されることになるという。使い切れなかった残額は特別な出費が予定されている場合を除き一般剰余に繰り越され、貯蓄されない。賃金が振り込まれ日常品からぜいたく品まで買い物をするためのカードだ。後に二十世紀半ばにクレジットカードが登場したとき、本書を参考にして名付けられたのかどうかはよくわからないが、このネーミングは先駆と認められている。

また、買い物も各地区に一つある商品見本の陳列場所に赴きクレジットカードで注文すると、中央倉庫から商品を即時配送してくれる仕組みであり、現在のamazonなどのEコマースを彷彿とさせる描写だ。二十四時間体制で演奏を続けるホールと電話回線でつながり家に居ながらいつでも音楽を楽しめる音楽配信サービス、同様にやはり電話回線で繋がり数十万人が同時に聴く教会の牧師の説教などは有線やインターネットを思い起こさせる。他にも、新聞の衰退によって、個々人が自身の主張を出版し、その反響に応じて収入・余暇を得ることができるセルフ・パブリッシングあるいはブログ的な描写もある。また、料理をはじめ家事全般は全て外部サービス化されて必要に応じて購入・委託することができるという点も非常に未来予知的だ。

ベラミーの予想した未来のさらに未来に生きる我々から見ると、彼の描いたユートピアはどうしてもディストピア的なのだが、これがまるで自分たちの苦境、現在の社会への処方箋としてうつる時代があったのであり、その理想を追い求めた未来に歴史が形作られてきたことに思いをはせると、非常に面白く読めると思う。ハッピーエンドともバッドエンドともつかないオチも秀逸だし。

ユートピアとディストピア

本書の本間長世による解説によれば、古来よりユートピアは都市として描かれてきたのだという。『ユートピア都市の構想には、隔絶化、階層化、固定化、統制化、規格化、軍国主義化などの正確のいずれかが』(P6)入っており、『理想社会、あるいは少なくとも現在の状態に比べれば理想的と思われる社会を描きだす』(P7)ものとしての「正統的ユートピア」と『正統的ユートピアが描くのと同じ社会的目標を、奴隷制、専制、アナーキーという形で諷刺化するもの』(P7)としての「ユートピアン・パロディ」とがある。ベラミーは前者の正統的ユートピア作品に位置づけられる。

『ベラミーの『かえりみれば』は、書かれた当時の社会思想に解放的影響を与えた点では、文学史上まれなほど深い影響力をふるった作品であるが、今日の大多数の読者にとっては、不気味な専制の青写真ということになる』(P7)。

1950年代、のちに現代米国政治思想に多大な影響を与える二十世紀屈指の思想家である米国の神学者ラインホールド・ニーバーは当時のソ連など社会主義体制を分析しこう批判している。

『シニカルな信条よりも幻想的希望の方がはるかにひどい残虐や専制を生み出す可能性があるわけだが、その事実が認識されるのは、人間の歴史の中では歴然たる悪よりも善の腐敗の方が、一見もっともらしい外見をもってかえってはるかにひどく危険なものであるということが理解される限りにおいてのみである。』(ラインホールド・ニーバー「アメリカ史のアイロニー」P194)

というわけで、非常に重要かつ面白い一冊なわけだが、邦訳されているのは1975年の本書のみで、amazonのリンク先をみていただければわかる通り、5400円と非常に高価で手に入れづらい。すでに著作権は切れていることもあって、青空文庫では邦訳が作業中となっているものの、いつになるかは知れず、とりあえず岩波文庫なり光文社古典新訳文庫なり早川文庫なりにぜひ頑張っていただきたいところ。手頃な価格帯で専門家による充実の解説付きで読めると有意義な本だと思うなぁ。

参考書籍・論文・リンク
・エドワード・ベラミー 著「エドワード・ベラミー (アメリカ古典文庫 7)
・吉村 正和 著「心霊の文化史—スピリチュアルな英国近代 (河出ブックス)
・小山 慶太 著「エネルギーの科学史 (河出ブックス)
・ラインホールド ニーバー 著「アメリカ史のアイロニー
・エンツォ・トラヴェルソ 著「全体主義 (平凡社新書)
・丹治陽子論文(2005)「ダーウィニズム以後のユートピアの不可能性について : ベラミーの『かえりみれば』とギルマンの『女の国』
クレジットカード #歴史 – Wikipedia

ペーパーバック(英語)

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