イギリス重商主義時代の貧困観

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封建制の崩壊

十四世紀中葉までに進んだ様々な社会的経済的政治的変化――農耕地から牧場地への転換、マニファクチュアの成長、地中海貿易の拡大、十字軍やフランスを中心とした欧州全土を巻き込む戦争、ペストの大流行による人口の激減と村落共同体の崩壊など――によって封建制度が崩壊すると、民衆へ対する領主(貴族・教会)の支配力が低下、労働者の自由な移動が可能となり、雇用者と労働者の関係は賃金の支払いに対する労働の提供を約する雇用契約に基づくのが一般的となった。

この変化は一方で富裕な自営農民らが領主層に次ぐ資本家階級へと浮上する機会となったが、他方で生産手段を失った農民や手工業者が資本家に雇われる労働者になる、二極分化の社会を作りだすことともなり、その底辺として貧困・浮浪者層の大量発生が欧州全土で見られるようになっていく。特に貧困・浮浪者層増加の大きな要因となったのが、十五世紀から十六世紀にかけての人口増加であった。ペストの流行による人口減少からの回復期と封建制の崩壊と人口の流動化という構造変化の時期とが必然的に重なりあったことで、人口の増加に雇用が追い付かず、農村工業の発展によって安定的な徒弟制度に代わり未熟練労働者へと変化、雇用形態も年間契約から日雇いへと不安定化、さらに食糧危機が追い討ちをかけた。

囲い込み(エンクロージャー)と首長令

イングランドにおいて十六世紀に貧困・浮浪者層の増加を促進したのが凶作と囲い込み(エンクロージャー)、そしてイングランド国教会の誕生(首長令)である。

十五、六世紀の人口増加を背景として羊毛・羊肉の需要が急増すると、農民に土地を貸し出して地代を受け取るよりも、農地を牧草地に変えて羊を飼育した方が遥かに利益となるため、共同耕作地に柵を設けて農民たちから土地を取り上げるエンクロージャーが活発化、土地を取り上げられた農民たちは多くの場合その土地から追放されて、浮浪者化して都市に流れ込み、幸運なものは労働者に、多くは貧困層となった。

農民・労働者の貧民化をより加速させたのが、1534年の首長令である。イングランド王ヘンリ8世は、自身の離婚問題を契機にローマカトリック教会と対立、国王を宗教的首長とする国教会の設立を宣言した。この結果、ローマ教皇所属の教会・修道院は国王のものとなり、同時に修道院で保護されていた貧民たちは保護を受けられなくなり追放される。その数88,000人以上と推定されている。それまで貧民救済は基本的に教会が主体的に行っていたが、イングランドでは以後王政が担わざるを得なくなっていき、これが国家による福祉政策の始まりである救貧法の制定へと繋がっていく。

重商主義下の貧困観

このような背景で欧州諸国同様にイングランドでも重商主義の時代を迎える。重商主義は政府と商人とが一体となって貿易や産業振興を通じて富の蓄積を目指す経済思想で、まず、貿易政策では外国製品に高い関税を課し、原材料の輸入は優遇、大会社・商人に独占的特権を与えて経済の拡大を目指す。重要なのは外国製品に対する自国製品の競争力の優位性の確保で、そのためには生産コストの削減、特に人件費を低く抑える必要がある。このような中で、高賃金は労働者を怠け者にするという観念が芽生え、労働者を低賃金に抑えることが当然のことと考えられるようになった。

貿易政策と並ぶ重商主義政策の柱が人口政策である。人口の増加が生産力の増加と結びつけて考えられ、人口の増加と海外流出阻止、人口流入の奨励を行う政策が採られた。具体的には独身の抑圧と未婚者への課税、未婚者の公職就任の禁止、早婚・多産の奨励などで、労働者を低賃金に抑える政策とセットで捉えると、低賃金で多産の奨励となる場合、どうしても貧困層の増加となってしまう。

朴 光駿 著「社会福祉の思想と歴史―魔女裁判から福祉国家の選択まで (MINERVA福祉ライブラリー)」では重商主義下の貧困観は以下のように要約されている。

『国家を富裕にそして強大にすることは多くの勤勉な労働力があってこそ可能であるが、勤勉な労働力を確保するためには低賃金を維持しなければならない。高賃金は労働者の勤勉性を低下させ、怠け者を奨励するからである。貧民は、本来怠け者の根性をもっているので、労働しなければ生き残れないほどの最低限の生活水準を維持するようにすることが望ましい。したがって、貧困は社会悪であるどころか国家の利益に合致するものである』(朴 光駿 P49)

また、主な重商主義者の貧困観も紹介されている。

『国家における最も確実な富は多数の勤勉な貧民である。工場の技術者たちは、もし週4日の労働で生活が維持できるとしたら、決して5日目には労働しないだろう(Mandeville)。
労働者は決して富裕になってはならず、やっと衣食住が解決できるような低い給料が支払われなければならない。労働者にとって、楽な環境は怠惰や多様な害悪を引き起こす要因である(Mayet)。
貧困階級が、もし貧乏でなければ決して勤勉になりえないということは、バカでなければみんなが知っている事実である(Young)。
ラバの体が弱まる理由は、長時間のきつい労働のせいではなく、長時間の休みのせいである(Richelieu)。』(朴 光駿 P49)

重商主義時代の貧困政策の目的は勤勉な労働力の確保であり、労働者に対しては「生かさぬように殺さぬように」、貧民・浮浪者層に対しては労働力化と暴動・反乱などを起こして社会秩序を揺るがさないようにすることが主な政策となった。国家の責任を明示した上での貧困経済への介入という点で歴史上最初の福祉政策とされる、1601年までに成立したエリザベス救貧法もこのような観念を前提として作られている。概ねこの貧困観は十八世紀末まで主流の観念として広く見られることになり、その影響は福祉・経済政策全般に及んだ。この重商主義的貧困観への疑問と反省から始まる諸改革が、福祉政策の歴史上大きな転換点となっていく。

参考書籍

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